岩手県の自転車旅行後半は宮沢賢治の故郷花巻と県都盛岡。とくに盛岡はニューヨークタイムズ紙に「2023年に行くべき52ヶ所」のひとつとして紹介された注目の場所。40年近く前に大学の友人等と行ってはいるのですが、あれは通過しただけでした(笑)。
今回はじっくり楽しみます。

今回の仙台-盛岡はほぼ平地で走りやすい

花巻市内にはいたる所に宮沢賢治作品に登場するキャラクターをモチーフにした像や装飾があります。好きな方にはたまらないかと。

花巻の名所に行きました
2023年(令和5年)5/13(土)
花巻市郊外にある花巻新渡戸記念館 と 宮沢賢治記念館 に行ってみた。
近くにあって2館共通入場券で少し割引されます。2館で¥550で¥100割引き。
バス路線・土沢線を利用して行くと5施設無料券をもらえる そうです(2024年3/31まで)

花巻新渡戸記念館
新渡戸稲造(にとべいなぞう)といっても若者は知らないかな。以前の5000円札の肖像になった人だが、お札が使われていた当時も何をした人かあまり知られていなかったのでは。
トラタロウも明治から昭和初期の学者・教育者で『武士道』という著作で日本文化を紹介、国際連盟にも貢献した人というぐらいしか知りませんでした。
※ 花巻新渡戸記念館トップページ に移動します

有力武家一族だったようだ


それで新渡戸記念館なんだ

生まれは盛岡です
宮沢賢治記念館
宮沢賢治の生きていた時代、地域、家族・友人関係、思想などを総合的に紹介する記念館。
周辺に関連施設も複数あるが、一か所だけならここがオススメ。
※ 宮沢賢治記念館 花巻市のHP に移動します



自転車なので自動車道を行ったが
途中で押して登るぐらいの急坂だった

これがイメージとしては有名





盛岡市内に突入です



パンクしました。抵抗を低くして高速を追求するロードレーサーのタイヤは細い(23mm)のでよくパンクします。常に予備チューブとポンプを持っているので15分でチューブ交換して走れます。パンク前提に走る自転車ですから。


鉈屋町はノスタルジックに

盛岡市中心部の南東、北上川東岸の一帯は鉈屋町(なたやまち)と呼ばれる昔の風情が残る町。
遠野街道と宮古街道が交わる場所で、商人・職人が住む町屋でした。残された歴史的建築物と暮らしの文化を守り継承する活動が行われています。
NPO法人盛岡町並み塾のHP に移動します
もりおか町家物語館
鉈屋町の観光の出発点になる施設。浜藤酒造の酒蔵や母屋などを利用し、町屋の暮らしや文化を紹介しています。入場無料。
※ 盛岡市観光情報のHP に移動します



冬場は寒くない?
盛岡町屋の特徴のひとつ「常居」(じょい)がよく分かる。店の主の仕事場で天井を貼らず吹き抜けの構造。立派な神棚が置かれている。二つ設けられた階段箪笥がいい感じ。
二階は昭和30年代の生活を再現してあった。トラタロウの世代だと生まれたばかりの頃なので記憶には無いかな。





町内を自転車で周る
鉈屋町がある大慈寺地区は景観地区として歴史的建築物を保護し、新しい建築物の意匠・高さ等を規制して景観を守ろうとしている。各名所を散策するには良い所。まあ、トラタロウは自転車でサッと周ってしまいましたが。



雰囲気がすごく良いね
大慈清水
きれいな水が湧き出す水場。近隣40世帯が組合費を出して維持している現役生活用水。
三段に分かれており、上から飲料水、こめ研ぎ、野菜・食器洗いと使い分けていた。
公共の用水ではないので、ちょっと飲ませてもらうくらいは良いようだが、大量の持ち出しなどは禁止です。




盛岡町屋の特徴の1つが、表から裏につながる土間の「ろーじ」。この家は土間を改装して駐車場にしたみたい。
昔の建物と現代生活をうまく融合させている。





岩手県は19代原敬に始まり、30代斉藤実、37代米内光政、70代鈴木善幸と4人もの内閣総理大臣を輩出している。首相がどこの出身かは出生地と出身地(選挙区)で違うが、どちらの基準でも岩手県は第3位。どういう風土がもたらした結果なのかな?

初めてシニア割引を使った
この夜は37年ぶりに大学時代の友人と再会。お互いに20代前半の姿しか記憶にないので最初は違和感がありました(笑)。
でも話をしていると大学時代の感覚に戻るのが不思議ですね。
明日も盛岡市内を周ります。
NY・タイムズおすすめの街を周ります
昨晩コンビニに寄ったらアメリカ人とおぼしき若者の集団が買い物をしていました。ニューヨークタイムズ紙に「2023年に行くべき52ヶ所」のひとつに推薦された影響を見たようです。
トラタロウも負けずに盛岡を楽しむつもりです。①~⑤は入場時間等があまり関係しない場所なので早朝から周れます。
① 神子田朝市
盛岡市の南東に位置する神子田町には朝5:00からスタートする朝市があると聞いて行きました。観光用ではなく完全に地元民のための朝市で年間300日は開催されるとか。
※ 盛岡神子田朝市のHP に移動します



② 福田パン
市内にあるパン屋だが、柔らかいコッペパンに各種具材をはさんだ物が人気。神子田朝市からだとけっこう距離があるので自転車かタクシーじゃないと難しい組み合わせ。朝7:00から営業。
※ 福田パンを紹介するサイト に移動します



卵+じゃじゃ麺味噌は具材少なすぎ
これで¥378は高いよ
➂ 石割桜
周囲21mの巨岩の割れ目にエドヒガンザクラの種が入り込み、石を割って成長してきたとか。樹齢推定360年、高さ11m、周囲4.7の古木は今も花を咲かせます。


天然記念物になるのも納得
④ 櫻山神社
盛岡城三の丸跡にある神社。南部藩総鎮守として寛永2年に建立された歴史ある神社。
この周辺に見所が集まっています。



⑤ 盛岡城跡公園(不来方城・こずかたじょう)
南部氏が豊臣政権に臣従後、26代南部信直から40年もの年月をかけて築かれた城。建物は残っていないが本丸を中心とする石垣の保存状態が良好。そしてこの石垣がちょっと無いぐらい良いのです。


建設時期・場所により異なりますが「打込接」(うちこみはぎ)という石を平たく整えて積む高度な技法が多用されていました。東北には無い技術だったので、前田、朝野、蒲生といった西国大名との関連が指摘されています。
※ 徹底解説。東北では珍しい石垣の盛岡城 に移動します

南部中尉騎馬銅像の台座が残る

※ 盛岡城公園ガイドマップ に移動します

⑥ もりおか歴史文化館
盛岡城公園に隣接する歴史博物館。南部氏の紹介が多い。地図は櫻山神社に同じ。


幕藩体制の盛岡藩の藩祖である南部信直で
26代目ですからその長さがうかがわれます。
現当主は46代だそうです。
⑦ 岩手銀行赤レンガ館

盛岡のシンボルとも言える建築。1911年(明治44年)に盛岡銀行本店として建てられたが、設計者は東京駅を手がけた辰野金吾。
唐津出身で昨年自転車で唐津に行った時もこの人が設計した旧唐津銀行を見ている。この前東京駅も見てきたし最近縁があるな。地図は櫻山神社に同じ。


⑧ もりおか啄木・賢治青春館
旧第90銀行の建物を盛岡ゆかりの石川啄木と宮沢賢治の資料館にしている。


⑨ 白龍(パイロン)
わんこそば、盛岡冷麺に並ぶご当地ヌードルであるじゃじゃ麵の元祖店。中国でポピュラーな炸醬麺(ジャージャー麵)を旧満州からの引揚者が日本流にアレンジした物。本店が休業日だったのでカワトク店(デパートです)に行きました。




哈爾浜(ハルビン、旧満州の都市名)です。普通は漢字は店名に使わないと思う、読めないもん。
岩手には神龍(シェンロン)、白龍(パイロン)など中国音で読ませる店が多かったが、調べてみると虎包(フーパオ)、白乾児(パイカル、中国のお酒)などもあった。
明らかに中国語を知っている旧満州などからの引揚者が起こした店ですね。小吃(シャオチー)店と書いてある店もありました。中国で麺類・餃子などの軽食を意味します。
⑩ 南昌荘
明治18年に「みちのくの鉱山王」と呼ばれた実業家・瀬川安五郎が建てた邸宅。130年の間に持ち主が次々に変わったが邸宅は維持され平成12年から一般公開されるようになりました。
ちなみに今の持ち主は、いわて生活協同組合(生協)です。庭園がマンションにされそうになったので生協が買ったそうです。いやいや見識のある生協で脱帽。




⑪ 良い風景があちらこちらにあります盛岡市








なんでこんなに良い風景・建物が残っているの?
盛岡は想像以上に良い所でした。歴史ある城下町である、徒歩・自転車圏内に見所が集まっていて周りやすい、水の風景に恵まれるなど良い条件がそろっています。
でも、もっと感動したのが街歩きをしていると、観光名所になっていない古い建物や風景に遭遇すること。なんでこんな良い物が残っているんだ? トラタロウが30年以上住んでいた浜松には無い風景。歴史では負けていないはずだが。

貴重な木造家屋があちらこちらに


盛岡 と 浜松 の違いはこれか
ふと思いついて検索してみたら両都市の違いが見えてきました。キイワードは「空襲」。
太平洋戦争末期に日本の多くの都市がアメリカの戦略爆撃機B29による空襲を受けています。名古屋城などの文化財もこれで焼失しました。

盛岡も被害を受けていますがB29が1機侵入、160戸焼失3名死亡。後日数機の艦載機による機銃掃射があったようです。
被害者には申し訳ないが「たったこれだけ?」と浜松市民は言いたくなります。
浜松には軍需工場、陸軍航空基地、鉄道修理工場などがあったため、中規模都市としてはありえないほどの空爆を受けました。空襲回数27回、B29延べ襲来機数560、爆弾投下量3076t、死者3000名以上。
さらに遠州灘に戦艦を含む8隻の英米艦隊が来襲し、「艦砲射撃」まで受けます。トラタロウの知り合いの体験者は「カンポー」と呼んでいました。※岩手も釜石は艦砲射撃を受けています。
戦後すぐの浜松市内の写真を見ると本当に焼け野原です。おかげで戦前からの建物なんて数えるほどしか残っていません。特に木造家屋は壊滅かな。
幸運にも戦禍に会わなかった盛岡の風景は大事にしたいですね。
※ 浜松とその周辺地域からはいまだに不発弾が発見されます。最新の発見は2022年、戦後80年近くたっても影響が残っています。
あす磐田で不発弾処理 国1新天竜川橋など通行止め に移動します
帰りは新幹線、あっという間に仙台です



帰りの盛岡ー仙台は新幹線です。3日かけて走った距離を70分で走破。やまびこ(遅い新幹線)でも速いな。自転車と比較するほうが間違ってますが。
いろいろ決算
走行距離…239.4Km
費用
宿泊費3泊…¥15500
入場料…¥2650
飲食費…¥7229
帰路新幹線…¥6050
総計…¥31429
※入場料はわりと無料の所が多かったです。
意外にかかったのが飲食費。旧友との会食はごちそうしてもらったのにこの金額。
まあ、自転車走行中は高校生並みに食べますので。
半年ぶりの自転車でしたが、なかなか充実した旅でした。また、一時帰国したらトライしてみたいです。
コメント