この旅行記の最終章になります。マレーシアに移住して姉妹ブログ『KLダイアリートラタロウ』を始めたため、なかなか更新が進みませんでした。何しろ2~4月のマレーシアはイベントが多くて書きたい記事がいっぱいあったためです。
よろしければこちらもご覧ください。
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マドリッド近郊に訪れたい街が2つあります。街全体が城壁に囲まれた城壁都市アビラ、そしてローマ時代の水道橋が残る街セゴビア。両都市は州は違いますが、同じ方向にある街なので順番に周れます。効率が良いな。
※ 1ユーロ=¥122で計算しています。
※ トップ画像はセゴビアの水道橋。
城壁都市のアビラ(Avila)です
マドリッドから電車で行きます
2017年1月1日(日)
元旦ですが旅行者には関係ないな。未明に起きてアビラ行きの列車が出るチャマルティン駅にメトロで行き、9:00発の列車に乗りました。
列車は少しずつ高地に登っていく感じ。それはよいが列車内寒いぞ。10:40アビラ駅につきます。
夕方にはバスでセゴビアに移動したいので、駅の近くにあるバスターミナルへ移動。バスの時刻を確認し、コインロッカーに荷物を預けました。
荷物預り所はスペイン語でコンシグナ(consigna)です。バスターミナルで「ドンデエスタ(~はどこですか)・コンシグナ」と聞けば指さしてくれました。コインロッカーだと正確にはアウトマティカをつけるとブエノ(good)ですね。
スペイン語圏は日本人には旅行しやすい
スペイン語は母音が5つで日本語と同じなので、カタカナ発音でもけっこう通じてしまう楽な外国語です。
また、スペイン語圏は英語はあまり通じないのでカタコトでもスペイン語が必要です。
そしてスペイン語の通用範囲はすごく広いのです。中米~南米はスペイン語、ブラジルのポルトガル語も兄弟言語なのでスペイン語でもだいたい分かってもらえます。
トラタロウは数字を含めて100ほどの旅行用スペイン語表現しか知りませんが、トラブルが無いかぎりこれだけでスペイン語圏の旅行には全然困りません。旅行者の行動なんて買う、食べる、泊まる、道をきく、など限定されますからね。現地人と「人生いかに生きるべきか」などの哲学的議論はしませんから…してもいいけどできないよ
スペイン語圏に行かれる方はぜひスペイン語を少し覚えて行きましょう。ただし、本格的にやると動詞の変化など複雑怪奇なので大変だそうです。
街を囲む城壁です
駅は新市街にあり、歩いて城壁都市に行きます。新市街の近代建築のビルの間から古い教会が見えてくると旧市街です。
城壁都市とはなに?
戦乱期が長いヨーロッパでは、都市を守るため壁に囲まれるWalled City が当たり前でした。ドイツ語で城壁をBrug(ブルグ)といいますが、ドイツで語尾にブルグがつく都市(ハンブルグとか)が多いのはこのため。パリやロンドンもかつては城壁都市でしたが、近世になると大砲の発達で城壁の防御機能が低下し、近代になると都市の発展にじゃまな城壁は撤去されてしまいます。
ドイツのネルトリンゲン、フランスのカルカソンヌなど城壁が完全に残る都市は珍しく、世界遺産に登録され観光地となっていますが、アビラも1985年に世界遺産となりました。
アビラはカスティーリャ州にある人口5万9千人ほどの街で「城壁と聖人の街」として知られています。714年にイスラム勢力の支配下に置かれましたが、1085年にカスティーリャ王国のアルフォンソ6世が奪還し、街を守るため城壁が築かれます。
城壁都市アビラは東西900m、南北450mの規模で城壁全長2516m、高さ平均12m厚さ3m。9つの門と87の塔がありますが、これだけの規模の城壁をわずか9年で築きました。ローマ時代の建築物を含む周辺の石材を根こそぎ使う勢いだったとか。
城の塔の役割は?
中世の城で見かける塔(張り出した城壁)は何の意味があるのでしょうか?
ただの壁だけだと攻撃された場合、その正面からしか防御射撃(弓や弩などによる)を行えませんが、塔があると左右からも防御射撃が可能になります。単純に言うと防御力が3倍になるということです。
アビラほど塔が多いとその防御力は圧倒的で、よほどの兵力差があるか兵糧・水補給に問題が無いかぎり難攻不落と言ってもよいでしょう。
だが近世になって大砲が発達すると、城壁は砲撃に弱く崩されてしまうためその役割を終えます。変わって発展するのが、砲撃の衝撃力を吸収するぶ厚く低い稜堡(りょうほ)を持つ星型要塞でした。
大聖堂や修道院です
アビラ大聖堂は12世紀~16世紀にかけて建設されたスペインでは珍しいゴシック様式のカテドラルです。そびえたつ姿は城塞のようですが、後部は城壁と一体化し、円形の城塞が設置され都市防御の一角を担ってました。
アビラの聖テレサとして知られる13世紀の修道院改革者にして聖人に叙せられた女性を記念して建てられた修道院。
西側から見る城壁が絶景です
城壁都市の西側は荒地だがドーリア式の柱が4本のこるローマ遺跡・クアトロポステスがあり、城壁を見渡すビューポイントになっている。
きれいに残る城壁と塔。これだけの規模でこれだけ保存状態が良い城壁は少ない。
なぜアビラの城壁はきれいに残っているのか
①スペインは近世に大航海時代で国力を外に向けたため、逆に国内は安定し騒乱が少なくアビラも戦闘で破壊されるような事態がなかった。
②スペイン内乱はあったが、2回の世界大戦には参加せず、戦火で破壊されることはなかった。スペイン全体で遺物の保存状態が良い理由である。ゲルニカは例外。
➂経済の主力であったモリスコ(改宗したイスラム教徒)を追放するなどして、自らの経済力を弱めてしまった。おかげで他の城塞都市で起こった、城壁を破壊して街を拡大する動きがなかった。
晴れた日で良かった。標高1117mにあるアビラは天気が悪いと寒そう。夕刻には冷えてきたので、バスでセゴビアに向かいます。
ローマ水道橋の街セゴビア(Segovia)をまわる
アビラからセゴビアにバス移動
アゴラ~セゴビアは70kmほどでさほど遠くない。19:15発の中距離バスで移動です。
2ヶ所ほど途中の村に寄ったので1時間以上かかるが、8:30セゴビアのバスターミナルに着きました。
バスターミナルから水道橋に近いお宿に歩いていくと、名所がライトアップされていた。
水道橋にほど近いお宿を予約しておいたので向かう。Odeonという宿はすぐ見つかったのだが、ドアが閉まっているし人の気配が無い。そしてドアのそばにATMみたいな機械。どうもこれでチェックインをするようだ。指示に応じて操作し、クレジットカードで支払いをすると下のスロットに鍵が自販機のように落ちてきた。
早朝に水道橋を見ていきます
セゴビアは古代ケルト人の時代から続く古い街で、ローマ時代に造られた水道橋が残り、大聖堂とアルカサルを合わせて世界遺産に登録されています。首都マドリッドからの交通の便も良く、スペインのマスト観光地ですね。
かつて地中海全域を支配した大帝国がローマ。この国は建築が得意で、多くの遺跡が残るがセゴビアの水道橋もその1つ。
丘の上の街に17Km先のフリオ川から水を送る設備の一部で813mが残ります。
紀元前1世紀に建てられ、イスラム勢力が撤退する時に破壊されましたが、15世紀末イザベル女王時代に修復されました。
カテドラル経由アルカサル行き
古い町並みを抜けて台地の上に立つ街の西端にある宮殿・アルカサルに行きます。途中で教会やカテドラルを見ながら進みました。
セゴビアのカテドラル(大聖堂)は1768年に建立されたゴシック様式の建物。多くの飾り塔を持つそれは優美で「カテドラルの貴婦人」と称される。
アルカサルはディズニーのシンデレラ城のモデルになったと言われるきれいなお城、と聞いていたが、現れたのは無骨な城塞。きれいな姿は反対側からしか見れないようだ。
アルカサル(Alcazar)はAlというアラビア語の冠詞で分かるようにアラビア語起源の言葉で、城塞・宮殿を意味します。14世紀にカスティーリャ王国(スペインの元になった国の1つ)のペドロ1世により建てられました。イスラムの影響があるムデハル様式です。
最後のマドリッドはのんびりします
約2週間の旅を終え、首都マドリッドに戻ってきました。帰りの飛行機に乗る前に1日時間はありますが、特に観光はせずにのんびりします。
マドリーいろんなところ
Madrid は日本語のカタカナ表記では「マドリッド」と「マドリード」の2つがありますが、地元民は「マドリー」と呼ぶそうです。市内をブラついて印象に残った画像を集めました。あまり観光には役立ちません(笑)。
クリスマスの時期に街頭にイエス誕生を描いたジオラマが展示されるます。聖書時代のパレスチナも描かれるのだが、これは大作・名作だ。時代考証はあやしいけれど。
美味しそうなもの…美味しかったものではありません
以前来た時(24年も前ですが)より美味しそうなものが売られている。でも値段はすごく高いので見ただけでした。
帰国します
美味しい物は見ただけで、現実の食生活はこんなもの。
16日間の旅行費用は1人あたり 往復航空券¥53000、現地滞在費¥91180
計 ¥144180 でした。はっきり言って安いです。特に往復航空券は破格の安さ。
詳しい旅程等は 海外旅行記NO55 スペイン・ポルトガルちょこっとモロッコ①サンティアゴ編 の冒頭にあります。お読みいただき、ありがとうございました。
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