旅も後半に入りました。テーマは『大草原の小さな家』ゆかりの地です。
19世紀後半アメリカ最後の西部開拓時代に少女期をすごしたローラ・インガルス・ワイルダーは、晩年にその思い出をベースに開拓時代の日常生活を描いた小説を発表します。全9編のそれは『リトルハウス・シリーズ』としてアメリカを代表する児童文学となりました。
その後TVドラマ化された『大草原の小さな家』は日本でも放映され人気を博します。トラタロウはTVドラマは全然見てませんでしたが、40歳代に英語学習のため原文で読んでファンになりました。ローラゆかりの地を聖地巡礼してみます。
※ 実在の場所を舞台にした映画・アニメ・小説などのファンが、舞台となる場所を見に行くことを「聖地巡礼」と称します。近年は聖地巡礼の観光客を目当てに、現地とタイアップして作品を作ることも当たり前になりました。
※ トップ画像はウォルナットグローヴのローラ・インガルス・ワイルダー博物館
リトルハウス・シリーズ始まりの地マンスフィールド

2014年(平成26年)8/7(木)
スプリングフィールドの東70Kmにあるマンスフィールドに出発。ローラと夫のアルマンゾが農園を開き、亡くなった地。ここで『リトルハウス・シリーズ』も執筆された。
州高速道路60号線に乗り、1時間ちょっとで着きました。





Laura Ingalls Wilder Historic Home & Museum
ミズーリ州のマンスフィールド(Mansfield)は干ばつにより、ダコタで暮らせなくなったローラとアルマンゾたちが1894年に移住した地。ここで生活を安定させたローラは、地元新聞への寄稿を経て『リトルハウス・シリーズ』の執筆を始めます。
ローラの死後、娘のローズと友人がワイルダーホーム協会を設立し、記念館の開設と残された2つの家の保存が行われました。アメリカ中・世界中から巡礼(ファン)が訪れる聖地。




火事によってかなりの品が失われてしまったが、物語に登場する品々が保管・展示されている。
きわめつけはPaのバイオリン。様々な局面で登場するPaのバイオリンが見れたのは感動ものです。
※ 記念館も家も内部撮影禁止なのが残念


ロックハウスは娘のローズに贈られた家です。ここに住んでいる時に最初の本が書かれます。



『大きな森の小さな家』(1932)
『農場の少年』(1933)
『大草原の小さな家』(1935)
『プラム・クリークの土手で』(1937)
の4作品がここで書かれました。
アメリカの最後の開拓時代が描かれますが、「事実7割、創作3割」ぐらいだそうです。



博物館隣の白亜の家がローラ一家が最初に住んだ家。一時娘のローズが住むが、ローズが出たあとローラが再度住み残りの『リトルハウス・シリーズ』をここで書きました。




Laura Ingalls Wilder Historic Home & Museum のHPに移動します
最新の入場料を確認すると18ドル。
アメリカの物価上昇が分かります。
町の北西にある共同墓地にローラ夫妻と娘のお墓があります。



夫のアルマンゾは1949年92歳、ローラは1957年90歳で亡くなりました。
またオマハ(Omaha)方面に戻ります
来た道を戻り、最後はまたラピッドシティに行きます。ラピッドシティとマンスフィールドの往復ってすごく遠いです。
何でこんなプランにしたんだ、と思いますがアメリカの広さを実感できてなかったのですね。
この日はカンザスシティの北側郊外まで行きました。



アメリカの高速道路は基本無料なので助かる。日本並みの高速道路料金を取られたらとんでもない金額になります。




$27.5(¥2828)高い
2014年(平成26年)8/8(金)
カンザスシティから300Kmほど北上するとオマハに到着。

オマハは中西部のネブラスカ州の中心都市。昔は「西部への玄関口」とした栄え、やがてユニオン・パシフィック鉄道の起点として大陸横断鉄道の一角をになった。
その後精肉・航空機など主産業は変化するが、中西部有数の産業都市の地位を守る。「オマハの賢人」と呼ばれる投資家ウォーレン・バフェットが住むところ。

レストラン・ピッコロに行ってみた


なかなか美味


デューラム博物館に行ってみた
旧ユニオン・パシフィック鉄道駅舎を利用した鉄道・産業・歴史などの総合博物館。








がはいっているビル


19:00スーフォールズ近郊に到着。
道路沿いにある$61(¥6296)のモーテルに宿泊する。
近くのモールで夕食にするがメキシカンのファストフードでいいかな。ブリトー・タコスセット($8.23=¥843)をいただく。


ウォルナットグローヴはTVシリーズの舞台です
2014年(平成26年)8/9(土)
1873年ローラが7歳の時にインガルス一家は、ミネソタ州の小さな町ウォルナットグローヴ(Walnut Grove)に農地を求めて移住しました。この様子を描いたのがシリーズ4巻目『プラム・クリークの土手で』であり、TVシリーズもここが舞台となりました。




ローラ・インガルス・ワイルダー博物館


小さな田舎町ですが『リトルハウス・シリーズ』の聖地として世界中から巡礼者が訪れます。ローラ関連博物館の他、インガルス一家が住んでいたダグアウト(ほら穴住居)の跡やPaがお金を寄付してできた鐘の残る教会などがあります。
毎年ワイルダー・ページェント(野外劇)も開催されるのです。
※ ローラ・インガルス・ワイルダー博物館のHP に移動します

Q、ワイルダー・ページェントって何?
A、町の南西に『大草原の小さな家』の町を模した野外劇場があります。毎年7月にここでリトルハウス・シリーズの1シーンを上演するページェント(野外劇)が開催され、TVシリーズの出演者がゲストで来たりするそうです。


リトルハウス・シリーズの挿絵画家


ガース・ウィリアムス(Garth Williams・1912~1996)はアメリカのイラストレーターで『シャーロットのおくりもの』などアメリカ児童文学のイラストで知られています。
1953年に今までバラバラに出版されていたローラの作品が、リトルハウス・シリーズとしてまとめて再販された時に彼がイラストを担当しました。ローラ本人や当時を知る人たちから取材をして綿密に描かれたイラストもシリーズの魅力のひとつです。


日本でもかなり出版されています
ローラ関連古写真
ローラの少女時代は写真の黎明期です。開拓地を点々としていた頃は写真屋など無かったでしょうが、デ・スメットの町に定住した頃から家族写真が撮られるようになります。
日本だと明治時代ですね。


Paの写真でも分かりますが、この頃成人男子の多くがヒゲをたくわえていました。TVシリーズのチャールズと実物との最大の違い(笑)かもしれません。
でもアルマンゾの世代はヒゲが大幅に減っています。なぜだ?




リトルハウス・シリーズゆかりの品々
ローラ達が直接使ったものではありませんが、同時代の同じ物を展示。

厳冬期にこれだけで野宿したPaはすごいな

Paはなかなか教養人だった

みたいな物。紙が貴重だったので。

オリジナルはマンスフィールド
麦穂束のガラス皿は『はじめの四年間』に登場。火事の消失を免れた物で「GIVE US THE DAY OF OUR DAILY BREAD」の文字あり。

寄贈されたのかな?

第1級聖遺物だな
TVシリーズの紹介

『大草原の小さな家』シリーズとしてTVドラマ化され1974~1984年、全9シーズンの長寿番組として人気を博した。
当初は原作をベースにしたストーリーだったが、長寿化したためシーズン5あたりから独自の展開が始まるとか。まあ、原作と映像は別の作品ですから。


TVシリーズはトラタロウの小学校~大学生時代。存在は知っていたが「男の子むき」では無いので一度も見たことはありませんでした。TVドラマから原作に入る人は多かったでしょう。
NHKでアメリカTVドラマがよく放映されていた時代で、『刑事コロンボ』シリーズは見ていたな。
開拓時代後期の建物・道具類
ローラの時代は西部開拓時代も後半。1862年のホームステッド法(開拓すると土地を無料でもらえる)により開拓者も急増、鉄道網も広がり大陸部を合衆国が完全支配します
この時代の建物・生活用品が移築・保存されており『リトルハウス・シリーズ』に登場するような家屋や道具類を見ることができます。



原作を英語で読むと開拓時代の話なので、聞きなれない農業用語に困惑。
食品も手作り(ホームメイド)が多いので、食品製造関係用語も多いです。代表例が churning (チャーニング・攪拌の意)かな。牛乳の乳脂肪分が多い部分(生クリーム)を攪拌(かくはん・混ぜること)すると脂肪分が集まってバターができるのです。2リッターの生乳で100gほどのバターができるそうです。

攪拌棒をあつかえませんでした)
『大きな森の小さな家』より
実はバターは家庭でも作れます。ローラにならって手作りバターはいかがですか。
バター手作りの方法を解説するサイト に移動します
上記のサイトではハンドミキサーを使っていますが、ペットボトルでもできます


『大きな森の小さな家』でブタの解体等が出てきます。ローラとメアリイは膀胱をもらって風船にして遊び、尾っぽの肉を焼いて食べていました。パイオニア・ガールたくましいな。

教育にはかなり熱心だったよう

ローラも資格を取って教えました

開拓時代の簡易住宅

Paチャールズの鐘の教会
Pa がブーツを買うために貯めたお金3ドルを教会の鐘のために寄付するエピソードがあるが、この教会に鐘は保存されているとか。ちなみに当時の3ドルは現在の4万円以上の価値があるかな。





プラム・クリークの土手に行きます

1873年オクラホマからウォルナットグローヴに移住したインガルス一家が住んだ場所。 移動する先住者から交換で手に入れた住居はDugout (ダグアウト)と呼ばれる、土手に掘られたほら穴住居。
そこでの生活は4作目『プラム・クリークの土手で』に描かれました。




大河や流れの急な川は洪水・氾濫で河道が変化したり、堆積で浅くなったり川底が上がったりの変化があります。150年もあれば景色が完全にかわってていても不思議なし。
でもプラムクリークは水量の少ない小さな川なので大きな変化は無い様子。ただ物語に登場する大岩が無い。撤去されたとも埋まってしまったとも聞きます。川岸に頭だけ出している岩がそれ?


ダグアウトは他の土地に移る開拓者との交換で手に入れ2年あまりここで暮らします。魚を獲ったり、ベリーを摘んだりと開拓生活らしい描写が印象に残ります。

ちなみに野球場の試合中の選手控室
もダグアウトとよばれますね。


インガルス一家がこの地を離れる原因
のひとつになったのが蝗害。
その時のバッタの子孫かな?

ローラ直筆の原稿
インガルス一家は一時この地を離れ1878年に再度戻ります。しかし翌年にPaが鉄道関係の仕事を手に入れ、ダコタテリトリーへ移住しました。

されていた蒸気機関車
ブルッキングスで泊まります


がついて$8.5(¥875)
ウォルナットグローヴから次の聖地デ・スミットは遠くない。今日中に行ってテント泊しょうかな、と考えていたら。
①道を間違えて時間をロス
②すごい暴風雨で走れず停車
➂雨はやんだが強風が続く。簡易テントでは対応不能
ということで、手前の町ブルッキングスのモーテルに泊まりました。




夕食はウォルマート(どこにでもあるな)でお惣菜、冷凍食品等を買ってきた。




明日はローラが青春時代をすごした町デ・スミットに行きます。
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