南西インドの旅第二弾は、壮大な石造りの寺院や宮殿跡が残るハンピ遺跡。ベンガルールから夜行寝台列車で拠点となる街ホスペットに行きます。宿泊は遺跡のあるハンピ村にしたいのでネットで予約しましたが、なぜかキャンセルされてしまいました。行ってみたら原因が分かりました。
※ トップ画像はハンピ遺跡の象戦車石像
一路ホスペット(Hospet)に向かいます
ベンガルールからデカン高原南部の遺跡ハンピを目指します。バンガロール駅から21:30発の夜行寝台列車、その名もHampi Express で一路拠点となる街ホスペットへ移動。
インドに初めて行ったのは1989年の冬。鉄道がメインに移動手段でしたが、当時は始発から数時間遅れることも珍しくなく、鉄道の旅は苦難続き。
それから28年、インド鉄道もだいぶ進歩しましてHampi Express の発車も1時間ぐらいしか遅れませんでした(それでも遅れるのかよ)。途中は問題なく330Kmを走り朝7:45ホスペット駅に到着。
遺跡に行く前に朝ご飯。インド朝食の定番イドゥリ(米粉の蒸しパン)とワダ(豆粉のドーナッツ)をカレーソースでいただきます。45ルピー(¥81)
ここからは田舎ルートなのでムンバイに行くまでインド食しかありません。
ハンピ遺跡(Hampi)をオートリキシャーで周ります
ホスピートからハンピ遺跡までは12Kmほどでバスもあります。でも遺構はかなり広い範囲に分散しているので、現地を歩いて周るのは大変。駅から乗ってきたオートリキシャーのお兄さんに遺跡1日周遊で1200ルピー(¥2160)と持ち掛けられたのでOK。
インドの有名な遺跡だとこの3倍くらい吹っ掛けられて値切り交渉となるのが普通。でもハンピ遺跡はその規模の割にマイナーで、外国人観光客はまだ少ないのでまだボラれないのかな。実際インド人以外の観光客は見ませんでした。
ハンピ村のバス・ステーションにほど近い所にあるヴィルーバークシャ寺院がランドマーク。高さ50mの塔状の山門(ゴープラム)が特徴だが、神像は配置されていない。
12月・1月はインドもそんなに暑くなく旅行シーズン。ここハンピ遺跡も大勢のインド人観光客であふれていた。遠足なのか小中学生の団体も多く、東アジア顔が珍しいのかよく見られてしまう。聞くと地元カルナータカ州の学校みたい。
2017年時点では円高もあってインドの物価は安い。まあ初めて行った1980年代よりは上がっているのだが、それでも安い。異常に高いのが遺跡等の入場料で外国人は別料金。
ここハンピ遺跡もインド人30ルピー(¥54)に対して外国人は500ルピー(¥900)と16倍以上。タージマハルなど有名遺跡はもっと高いのです。
壁に囲まれたザナーナ・エンクロージャーと呼ばれる区域。旧王宮関係の建物が残る雅(みやび)な一角。
少し離れた所にあるヴィッタラ寺院は由緒あるヒンドゥー教寺院。境内にハンピ遺跡のシンボルと言える象戦車石像がある。
夕刻にはホスピートの街に帰って一休み。ド田舎の街かと思ったら鉄鋼業の中心地で、中心部はそれなりの都会だった。
ハンピ遺跡2日目です
2017年(平成29年)12/25(月)
ハンピ遺跡見学の続きです。主要な遺構は昨日まわったので、今日はハンピ村とトゥンガパトラ川の周辺に行ってみました。
ハンピ村の中を散策。直前に村内の宿の予約ができなくなったのが、州政府が村内の宿泊営業を禁止したためらしい。地元民に聞いたが理由は不明。宿であったらしい建物も看板等が撤去されていた。
かつては一国の都だったハンピ。大都市が成立する条件のひとつが飲料水や交通手段となる河川があること。現在でも大都市の多くは河川がありますね。
ハンピの場合はトゥンガパトラ川が流れ、現在も水源になっています。
強行軍で無理をしたので少し体調不良。今日は戻って休みましょう。
海外旅行記NO57 南西インド ➂バーダーミ編 に続きます。
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