コロナ禍により3年間近く海外旅行に行けなくなりました。その後マレーシアに移住しまして海外生活を楽しむあまり海外旅行に行っていません。今回4年ぶり4回目のベトナムに行ってみました。
なぜベトナムか? 住んでいるクアラルンプールからならすごく近いのです。ホーチミンならマレーシアのコタキナバルと同じくらい。航空券の往復で1万円ちょいくらいの安さ。
現役時代は旅行日数に制限があったので、名所を駆け足で巡る旅でした。今回はベトナム南部(多くはメコン河沿いの街)を3週間かけてのんびり周る旅にしてみました。
※ トップ画像はホーチミンのシンボル・ベンタイン市場
※ 22日間の旅の費用です(日本円に換算したもの)
クアラルンプール⇔ホーチミン往復航空券(2人分)¥24025
クアラルンプール市内⇔KLIA2往復(2人分)¥1984
ベトナム現地滞在費 ¥86291
総計 ¥112300 ÷22日間で 1日平均 ¥5104(2人分)
安い!やはり航空券の費用と物価の安さ and 観光していないのが大きいです(笑)
一路ベトナムへ向かいます
ベトナム南部の街を巡る旅の出発点は南部の大都市ホーチミン市。かつてはサイゴンと呼ばれましたが、統一後は現ベトナム建国の父の名がつけられました。今でも現地人はサイゴンと呼んでいますが。
2024年3月5日(火)
マレーシアの首都クアラルンプールからホーチミンへは多くのフライトがありますが、最安値はやはりエア・アジアかな。時期にもよりますが往復で2人分が775リンギッ。1リンギッ=¥31で計算すると¥24025、1人¥12012です。
まあ、マレーシア国内のコタキナバルよりも近いですからね。フライトも2時間ほどです。
3週間の旅ですが夏の国ですので軽装で行けます。荷物もエアアジアの機内持ち込み制限7キロ以内にまとめました。ちなみに同行者は荷物3キロ代です、すごいな。
ホーチミンのタンソンニャット空港はかなり街中にあります。もとはベトナム戦争にも使われた軍用空港でして、トラタロウが初めて行った1993年時にはバンカー(軍用機の防空壕)が残っていました。
当時は薄暗い小さな空港建物でしたが、30年で大きく立派になったものです。さすがに手狭になって郊外に新空港ができるとも聞きますが。
現地通貨入手と市内への移動
ベトナム通貨ドンの入手は 、お得だというWISE という会社のカードでやってみました。ただベトナムのATM は使用料を取られ、銀行によってはかなり高いのです。AGRI BANK の手数料が安いのでこれを使いたいのですが、国際線ターミナルにはありません。徒歩数分の国内線ターミナルにありました。
1回22000ドン(¥132)と安い。でも1回に最大3000000ドン(3百万ドン=¥18000)しか引き出せない。3回やりました。
ベトナムを訪れた外国人が当惑するのが紙幣の数字の「ゼロの数」の多さ。最高金額紙幣はなんと1000000(百万)ドン。サンドイッチひとつ買うのさえ15万とか20万の単位の紙幣が必要で混乱。
でもしばらくすると気づきます、「下3桁のゼロは無視すればいい」ということに。1000ドンが現在は6円相当なので1000ドンを単位として計算すれば混乱しません。すると「〇〇K」という値札に気づきます。「K」は「000」の略称だとか。
ホーチミンのタンソンニャット空港は市内中心部から約8キロ。タクシー等を使ってもOKですが、最安が152番の路線バス。ベンタイン市場に行きますので、ファングーラオ通の宿屋街に宿泊するなら使えます。
渋滞が無ければ30分程度、運賃5千ドン(¥30)…大きな荷物は+5千ドン請求請求されますが、それでも安い。
ミャンマーのヤンゴン空港に行く路線バスが邦貨換算¥37 (2022年当時)相当と安かったですが、それといい勝負ですね。バスには車掌さんがいますので「チョーベンタイン」(ベンタイン市場)と行先を告げます。ただベトナム語は発音が難しく、通じない場合もあるので Chợ Bến Thành とベトナム語で書いて見せるのが確実。
FTTAバス社の民営109番バス(オレンジ色です)も同じ場所から出発。こちらは15千ドン(¥90)と少し高くなりますが、ルート沿いに宿泊ホテルがあれば近くに降ろしてくれるようです。
お宿をとってぶらぶらしました
ベンタイン市場から500mほど南西、ファングーラオ通(公園側)とフィビエン通に挟まれた一角がバックパッカー御用達の宿屋街です。バンコクのカオサンやカトマンズのタメル同様世界中の旅行者が集まる場所。
お宿もリーズナブルな所が多い(逆に高級ホテルはありません)。
ホーチミンは1泊だけで次の目的地に行くので、一番安いクラスの宿にしてみました。
YHD ゲストハウスは1泊256千ドン(¥1536)。1泊¥2000以上がほとんどなので最安ですね。部屋は狭いけれど、一晩寝るだけなのでOKです。
ただ狭い路地の中にあるので、見つけるのに少し苦労しました。
今日はどこにも行かず、近辺をブラブラしてました。
外国人ツーリスト(特にバックパッカー)向けの宿・飲食店が集まる地域を中国では「洋人街」と呼んでいましたが、ここはまさしく洋人街。白人が多く、団体旅行の中国人は見ません。
看板のボーヴィエンBO VIEN は牛肉団子のこと。ブンBUN (軟らかめ米麺)、ミーMI(中華麺)、フーティウHU TIEU(歯ごたえのある米麺)などの麺を選択できます。
どの麺を選んでも35千ドン(¥210)、別皿で付け合わせの野菜が出ました。
スープの出汁が効いていてなかなか美味。
ちょっと足りないのでバインミー(フランスパンサンド)をいただき。揚げ豚肉入りで31千ドン(¥186)
ホーチミン市内をブラブラします
2024年3月6日(水)
ホーチミンはさほど観光資源はありませんし、過去2回の訪問でめぼしい観光施設には行っています。3回目の今回は街をブラつくだけにしました。
まずは朝市で朝食を調達
お宿は洋人街の西端に選びました。理由のひとつが徒歩5分で近くにあるローカル市場に行けるため。
タイビン市場は小さなローカル市場ですが、観光用になってしまったベンタイン市場には無い風情が残ります。
市場周辺には小さな飲食店や屋台が多く、出勤途上で朝食やお弁当を求める勤め人でにぎわうのです。
市内中心部を歩いてみました
本来はローカルな市場だったろうが、現在の客層はツーリストが主力。日本語で話しかけられるのも普通。少々高いがお土産物を手軽に探すには便利な場所。市場食堂もあります。
繁華街に行く途中でブンチャーの店を発見。ベトナムを代表するフォーと並ぶ米麺がブン。様々な食べ方があるがトラタロウが一番好きなのがハノイ名物のブンチャー。
麺をつけ汁に入れていただきますが、そこに焼肉が入っています。つけ汁に入っているのに味が薄くならないのが不思議。
55千ドン(¥330)
フランス統治時代から続くオシャレな繁華街がドンコイ通り。高級ホテルや老舗が並びます。1993年に初めてホーチミンに来た時は、このあたりに泊まったはずだがカケラほどの記憶もありません。人の記憶はうつろいやすいので写真を撮っておくのは大事です。
棒手振りは日本では死語、落語に登場するぐらいですね。読みも漢字検定1級クラス?「ぼてふり」と読みますが、天秤棒(これまた死語?)などで荷物を担いで売り歩く形態です。
ベトナムでは三角笠をかぶった女性が現役でやっていました。
ホーチミン市内の中心部はフランス統治下で碁盤目状に整備されています。植民地時代の建物が残るあたりは、徒歩で周ることも可能だが、3月の気候だと少々暑い。
ホーチミンはベトナム観光主要都市の中で一番暑いので12月~2月がベストシーズン。
次の目的地ハーティエンに出発です
夕方までブラブラしました。夕食は洋人街で豚あばら肉を焼いた定食コムスン。47千ドン(¥282)ですが、地方だと35千ドン(¥210)でもっと美味しいのが食べられました。大都市はやはり物価が高いですね。
ベトナム南部のバスが発着するのはミエンタイ・バスターミナル( Bến xe Miền Tây )。ベンタイン市場から延びる Ham Nghi 通りにある市バスターミナルから2番バスで行けます。
夜行バスで一番遠い街ハーティエンに行きます。一番遠くへ行って、少しずつホーチミンに戻っていくという予定なのです。
ホーチミン・ハーティエンの夜行バスは寝台バスで1人210千ドン(¥1260)。マレーシアから予約したら手数料70千ドン(¥420)かかりました。
多くのバス会社がありますが、大手のFUTA社で予約。ミエンタイバスターミナル内でも独立したオフィスから発着します。
オフィスには大型表示板があり、発進バスの情報が表示されます。ところが乗る予定のバスが表示されません。受付で聞くがスマホ翻訳で「座って待っていて」と日本語で見せられただけ。発車予定時刻10分前にまた聞くとチェックしてくれて、バスは来ているので乗れとの指示。結局表示板に乗車バスの表示は出ませんでした。表示を待っていたら乗れないところでした。こんな時は積極的に動いて情報をGetしなければなりませんね。
海外旅行記NO63 ベトナム南部②ハーティエン編 に続きます
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