大分県に来ました。トラタロウは小学2年~高校卒業までの11年間を大分ですごしました。その後、訪れる機会が全然なくて40年ぶりの訪問です。
※ トップ画像は人気の観光地・湯布院と由布岳
40年ぶりの大分、佐伯(さえき)から入ります
宮崎の日向市より特急で大分に入りました。佐伯(さえき)で降りて、自転車を組み立て古い城下町を走ってみます。
※ 城下町佐伯国木田独歩館 佐伯市のHP に移動します
佐伯城跡の下に古い城下町の雰囲気を残す一角があり、「歴史と文学の道」と呼ばれている。『武蔵野』を代表作とする文学者・国木田独歩が教師としてしばらく住んだことがあり、佐伯を舞台とする作品もあるらしい。野球が強い佐伯鶴城高校も近くにあります。
臼杵(うすき)の城下町を走ります
津久見を経由して一路臼杵(うすき)に向かいます。今日の最終目的地は大分市の鶴崎。
臼杵城を目印にして到着。戦国時代は丹生島城と呼ばれ三方を海で囲まれ、満潮時には四方が海面となる海城だったそうです。ご当地大名・フランシスコ大友宗麟の創建。
二王座歴史の道
臼杵藩の武家屋敷や寺院が残る一角。火山灰の固まった疑灰岩の丘を切り開いた「切り通し」の坂に古い家屋がある。平成5年に都市景観100選に指定された。
鶴崎の街と大分市内を周る
佐賀関は岬にある小さな街で特に観光地ではありません。ただ豊後水道の荒波にもまれて育つ鯖が美味しいと評判で、関サバとしてブランド化しています。
鶴崎に到着しました
大分市の東に位置し、大野川と乙津川にはさまれた街。トラタロウが通った高校があります。鶴崎に泊まって周辺を回ります。このコンテンツはほとんど個人的な思い出の場所の訪問ですので、興味のない方は飛ばしてください。
鶴崎は江戸時代に熊本藩の飛び領地だったぐらいで有名な歴史はありません。唯一残るのが島津軍の侵攻時、出征中の息子にかわり鶴崎城(現鶴崎小学校)を守り、島津軍を撃退したとされる吉岡妙林尼という女性の記録だけ。
ショッピングモールや本屋などそれなりに店があった鶴崎の国道沿いメインストリートですが、店がほとんど消えていました。その代わり郊外に大きなショッピングストリートができています。車が停められないとダメなのね。車社会になって多くの街が変化しています。
40年ぶりに母校を訪れました。敷地内を見せてもらいましたが、建物と配置が変わりすぎて、懐かしいと言うには微妙かな。唯一在学中に有ったのが体育館ですが、3年次末に完成し、卒業式でしか使いませんでした。
かつて住んでいた所に行ってみたら、当時の住宅がありました。しかもリフォームされて民営のアパートとして現役。築50年はたっているのに残っているのには驚いた。
ここの前に2年ほど住んでいた所にも、それらしいアパートがあったが、こちらは確信がもてない。住んでいたアパートなら築52年以上だ。
大分市の繁華街です
大分市の繁華街は大分駅の北側に広がります。佐賀関で会ったロードレーサー乗りに、「駅はすごく変わりましたよ」といわれたが、温泉施設付きの駅ビル・アミュプラザおおいたができて様変わり。以前は駅機能しかなかった。
大分2大歴史有名人の像が駅前にありました
大友義鎮(よししげ)、号は宗麟(そうりん)洗礼名ドン・フランシスコ
ご当地大名です。戦国時代に九州の半分を制圧、ザビエルをむかえ入れ、自らも改宗。
島津家の反撃にあって大敗、秀吉に泣きをいれます。
もう1人はフランシスコ・ザビエル
日本史に登場する数少ない外国人。日本にキリスト教を伝えた人物ですが、豊後でも布教しています。世界的なカトリック布教団体イエズス会の幹部でかなり偉い人。聖人に認定され、 その遺体はミイラ化されインドのゴアに安置、10年に一度御開帳されると数百万人の信者が拝みに来るとか。
※ 2014年のザビエルの遺体公開のニュース に移動します
大分に住んでいた頃からあった土産菓子が「ざびえる」。バター風味の白あん入り菓子ですが、ザビエルとはまったく関係ありません。信者から抗議は無いのか?
※ざびえる本舗のHP に移動します
人気の観光地・湯布院に行きます
2022年(令和4年)4月19日(火)
人気の観光地・湯布院に行ってみました。トラタロウが大分に住んでいた頃は、由布岳と温泉しかない田舎の観光地でした。湯布院映画祭などを始めて、観光開発を図っていましたが、その成果もあって、近年なかなかの人気とか。
キャッチフレーズは「東の軽井沢、西の湯布院」です。
※ 由布院の観光スポットを紹介するサイト に移動します
自転車で行くなら別府からの山越えか、大分市から久大本線沿いの山道を行くかですが、荷物満載の自転車で往復はつらすぎる。自転車を大分駅に停めて電車で行きます。
久大本線(久留米ー大分)の普通列車で1時間15分、片道¥950。
由布院駅から金鱗湖に向かう道が、徒歩観光のメインロード。途中にある飲食店、テーマ館、土産物屋をのぞきながら行きます。とても観光地らしくて楽しい。
※ 詳しいマップが湯布院観光協会HP にあります
観光道路沿いにある店は「ジブリ」「スヌーピー」「アルプスの少女ハイジ」「犬」「猫」など人気のテーマを集めていた。「湯布院と全然関係ないじゃん」と言いたくもあるが、好きな人なら一度行ってみたいと思わせる。
別府温泉をのぞいてみます
大分市を出て一路杵築(きつき)を目指します。大分市を出ると湾岸道路となり前方に日本有数の温泉地別府が見えてきます。
別府温泉は明治時代から本格的に開発が始まりますが、温泉の人工掘削、別府港開発、九州で初めての市電導入、鉄道の整備など当時の最新技術を使っています。
全盛期は1970年代ですが、別府八湯の多彩な入浴施設、別府地獄めぐりなど視覚に訴える観光資源があるため強い集客力があります。
※ 別府八湯温泉道公式HP に移動します
150ヶ所の温泉施設があり、その中の88ヶ所を巡るスタンプラリーがあるとか。
別府を出て日出(ひじ)を通過。キティちゃんの隣にいるのはカレイです。
日出の海底は真水が湧き出すため、くさみの無い上質のカレイの産地。城下かれい(しろした)としてブランド化されています。
杵築(きつき)の武家屋敷にも寄りました
杵築(杵築)は国東半島(くにさき)の南に位置する小さな城下町。小さいけれど武家屋敷や商家が保存され重要伝統的建造物群保存地区となっている。着いたのが夕刻で、見所はみんな閉まっていたが、ひと周りしてみた。
※ 杵築市観光協会公式HP に移動します
谷底になる低地の大通りに商家が並び、南北の高台に武家屋敷が集まるというサンドイッチ型城下町という珍しい構造。
暗くなる前にテント泊の場所を探すと、国道わきに廃ドライブインの跡。今回あちらこちらの国道沿いで廃業したドライブインを見ました。高速道路の伸張やコンビニの拡大で、経営が成り立たなくなったのでしょう。
若い世代はドライブインを知らないかもしれない。
夜が明けたら何やらテーマパークらしき物があるのに気づいた。人気が無いので廃テーマパークかと思ったら、現役のサンリオキャラクターパークハーモニーランドとやららしい。
昨日、日地町の看板に城下かれいと共にキティちゃんが描かれていた謎がとけました。
USAにいきました、アメリカではありません
旅ジョークのひとつ、USAは宇佐(うさ)です。大分県の北部にある街で宇佐神宮が有名な所。宇佐市も意識しているのか、英語のウエルカムボードがありました。
神社はコンビニ・チェーン?
お祭りや初詣、大晦日の時以外はあまり意識しませんが、神社は周りに沢山あります。そして神社の多くは系列でまとめられます。系列とはどの神様をお祀りしているかということ。
八幡宮を始めとして有名どころは稲荷、伊勢、天神、諏訪、出雲、浅間、住吉、秋葉、白山、春日、熊野など、ちょっと名前を聞いたことがある系列でも沢山。これ以外にも一部地域ではメジャーという系列があります。
不敬を承知で言いますが、コンビニのチェーン展開に例えると分かりやすいですね。コンビニの本部、またはフラッグショップに相当するのが総本宮です。本社の祭神を他所でも祀ることを分霊といいますが、新しくコンビニ支店が増えるようなものです。
※ 神社の系統をまとめたサイト に移動します
八幡総本社 宇佐神宮
宇佐神宮は八幡神(はちまんしん、やはたのかみ)を祀りますが、全国に11万あまりある神社のなかで4万を占めるのが八幡神系列。神社界の7/11ですね。
八幡様とは15代応神天皇(おうじんてんのう)の化身で、571年に宇佐に示現されたといいます。そして宇佐神宮は八幡系列神社のトツプです。
※ 八幡総本宮宇佐神宮のHP に移動します
近年、大分県一のパワースポットとして人気とか
豊後高田の昭和の町です
豊後高田は国東半島の西に位置する街で、江戸時代~昭和中期にかけて海運の拠点として栄えました。しかし、他の多くの地方都市同様、衰退が目立ちます。
2001年(平成13年)より、昭和の雰囲気の残る商店街を「昭和の町」として観光資源化し、人を呼ぶことに成功しています。
※ 昭和の町 豊後高田市公式観光サイト に移動します
中津から大分を離れました
中津は大分県北部の西端に位置する人口3番目の街。大分は旧分国法で豊後の国だが、中津は豊前に属するのが不思議。福岡県になっていてもおかしくなかった。見所は耶馬渓や青の洞門。
中津城にも行ってみた。天守は昭和の復元だが、石垣・堀は建設時の物が現存する。秀吉の軍師・黒田官兵衛(如水)が建てたが、黒田家が豊前(現・福岡県)に移封された後、細川忠興(ほそかわただおき)が受け継ぎ増築している。
細川忠興(ほそかわただおき)を知ってますか?
戦国武将の1人ですが、属性すごく多い人です
・父の細川藤孝(幽斎)も戦国武将で歌学の大家
・自分も文化人で茶の湯では利休七哲(利休の高名な弟子)の1人
・妻は明智光秀の娘の珠、細川ガラシャ夫人として夫より有名かな
ガラシャ夫人美人で有名だが忠興もイケメン
・信長・秀吉・家康という戦国の三傑全員に仕える
・九州征伐、小田原征伐、朝鮮の役、関ケ原、大阪の陣などに参加
・小倉藩初代藩主、子の忠利が加増・移封で肥後(熊本)の大名
小倉藩主の時、巌流島の決闘が行われている
・第79代総理大臣・細川護熙(ほそかわもりひろ)氏は直系子孫
細川忠興は戦国時代を舞台にしたストーリーにかなり登場します。でも忠興をメインにした物語がほとんど無いのが不思議。大河ドラマの主役になってもおかしくないのにね。
細川忠興を紹介するブログ に移動します
40年ぶりの大分は楽しかった。また10年後ぐらいに来たいですね。
行けるかな自転車旅行・九州一周⑤福岡編に続きます
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