現在は首都ではありませんが、ミャンマー最大の都市ヤンゴン(YANGON)に向かいます。18年ぶりの再訪。イギリス統治時代に作られた旧市街は、碁盤目状の計画都市で昔の風情が残る大都市です。
※ ミャンマー通貨1000チャット=¥73.5 で計算しています
ヤンゴン(Yangon)初日 展望タワーと夜の屋台街めぐり
ヤンゴンへの行き方
2019年(令和元年)12月31日(火)
ヤンゴン市内に直通する便は無いのか、少ないのか、ミニバスでヤンゴン郊外のバスターミナルに行き、そこから中心部に行く市バスに乗り換えた。それぞれ1500チャット(¥110)、500チャット(¥37)とお安い。乗り換え待ち時間を含めず所要3時間。約80km。
当初は鉄道でヤンゴン入りを予定していたが、昨日バゴーツァーでチャーターしたバイクのおじさんが、鉄道は現在停止中とスマホの写真入りで教えてくれた。自分の車で行かせたいタクシーの営業なんかだとウソの可能性もあるが、利害関係の無い人の情報なので信じられますね。
ヤンゴン/バゴー間の交通手段 を紹介したブログに移動します
スレーパヤー(Sule Paya)はロータリーの中にあり、ここから四方に幹線道路が伸びる交通の起点になる。仏塔(英語でPagoda,ミャンマー語でPaya)は高さ46m。
エーヤワディー川のデルタ地帯に作られた人口516万人の大都市。
6世紀にモン族が建てた街ダゴンを起源とし、1852年の第二次英緬戦争でイギリスに占領される。
占領時代はラングーンと呼ばれ、イギリスにより碁盤目状の市街地や統治機構の建物が作られてコロニアルな都市となった。
ヤンゴンの歴史をまとめたサイト に移動します
1942年から1945年にかけて日本軍が占領し、アウンサン将軍と協力し戦後のビルマ独立の発端となる。2001年に訪れた時は、日本軍占領時代に覚えたのかカタコトの日本語をしゃべる老人もいました。
2006年軍事政権により首都はネピドーに移ったが、未だに経済と政治活動の中心地です。
ネピドーは新しい行政都市であまり観光客は行きませんが、逆に穴場かも?
ネピドーの観光名所を紹介 するサイトに移動します
まだパンやケーキは高級品。ケーキ1ピースと、さっき食べたローカル食堂の昼食が同じくらい。でも、それを払える中産階級や若者が増えてきたのだろう。
サクラタワー展望台の夜景は最高
スレーパヤーから北に延びるSule Pagoda Rd に面して建つサクラタワーは日本資本のビル。
企業のオフィスや駐在員のレジデンス需要を見越して1999年に建てられた20階建てビル。
屋上は展望台になっていると聞き、行ってきました。
サクラタワーは高さ100m。周辺の新しいビルも判で押したように100m前後。
なんでも高さ105mのシュエダゴンパヤーを越える建物はよろしくない、という不文律があるとのことです。いろいろなローカル・ルールがありますね。
ヤンゴン川沿いの屋台街は美味しい
ヤンゴン(Yangon)2日目 渡し舟と環状線とお寺にモール
2022年(令和2年)1月1日(水)
ヤンゴンの宿、OKINAWA GH 、1泊¥1984
スレーパヤーに近く、部屋も悪くなくエアコン付き、朝食はまあまあなのに評価が低い。
1階だと蚊がいるのと、シャワーが冷水だからかな。
なぜOKINAWAなのかは宿の人に聞いても不明でした。
ヤンゴンは2回目なのでシュエダゴンパヤーは行きませんでした。
今日はマイナーな名所を周ってみます。
朝の街を歩く少女尼僧の集団。尼僧は正式な出家とはみなされないようだが、僧院付属学校で学ぶなど、他の目的があるのかも。
川を渡ってダラ地区へ
日本から寄贈されたフェリーなので日本人は無料で乗れる。他の外国人は4000チャット(¥294)と外国人料金。
でも、日本人相手の詐欺師が来るようで無料なのも痛し痒しだな。ダラ地区でも安全に注意が必要です。
ミャンマーもいろいろな麺があるが、人気のシャンカウスエ(シャン州の麺)のお店999に行ってみました。あっさり味で美味しい。
値段は、あれっ書いてない。メモし忘れました。2000チャット(¥147)前後かな。
999を紹介するブログ に移動します
ヤンゴン環状線に乗ってみた
ヤンゴン・セントラル駅にやって来ました。イギリス統治時代に鉄道網が整備され、ヴィクトリア朝様式の中央駅が建てられましたが大戦中破壊。現在の駅は1954年にビルマ建築様式で再建された物です。
ヤンゴン環状線は総延長45.9km、39の駅があるヤンゴン市民の足です。そのローカルな雰囲気で外国人観光客にも人気がありますが、一周3時間もかかります。郊外のメーラムパヤーに行くために少し乗ってみました。
鉄道車輌は日本からの寄贈。運送と技術指導も日本の草の根運動の協力によるものらしい。
ヤンゴン環状線はイギリスの植民地仕様で、レールの幅が狭い狭軌(1067m)が使われている。日本の鉄道技術もイギリス伝来だが、当時の日本ならこの程度でよいと思われたのか狭軌で伝えられ、後々苦労することになる。広軌は建設費高いが、いろいろな点で使いやすいのだ。
ちなみに新幹線は広軌(国際標準軌・1435m)です。狭軌ではあんなスピード出せません。
鉄道の狭軌・広軌についての事情はこれが詳しい
日本の鉄道が「狭軌」で開業した理由 に移動します
45.9kmを3時間とは、ほぼ自転車程度のスピード。あまりにも遅いので、日本の最新車輛と鉄道システムを導入する計画がありましたが、クーデターでどうなったのか。
メーラムパヤー(Mai La Mu Paya)は仏教テーマパーク
ヤンゴン中心部から北に10Kmほど。環状線Tadagole駅(GoogleマップだとTadalay Stationと表記)下車、大通りに出て北に15分ほど歩けばメーラムパヤーに到着。ミャンマーのお寺はどこも明るい雰囲気を持っているが、ここは極めつけに明るい仏教テーマパークだった。
最先端のモールがミャンマー・プラザ
ヤンゴン郊外にある巨大ショッピングモール・ミャンマープラザに寄ってみました。スレーパヤーから北に5km、インレー湖と高級ホテルに隣接。内部は最先端のショップが並び、ミャンマーもここまできたか、と感慨深い。
ヤンゴン(Yangon)3日目、碁盤目状の旧市内をさまよう
コロニアルな街を歩きます
2022年(令和2年)1月2日(木)
現在のヤンゴン市内中心部は、イギリス支配時代に作られた碁盤目状の計画都市。
南北を走る細い道路がストリート(St)、大き目の幹線道路をロード(Rd)と呼び、それぞれに番号や名称がつけられているので非常に分かりやすい街です。
今日はこの街をさまよってみます。
サイカーとタナカはミャンマーらしい
人力車を発展させ、動力を自転車にしたタクシーはインドのサイクルリキシャーなど各地にあります。近年は動力をバイクにした物やバイクタクシーに押されがちですが、ヤンゴンにはまだ残っていました。その名もサイカー、サイドカーがなまったのかな。
サイドカーの前後に座席があり、2人乗れます。座席が運転手の後ろにあるインド、前にあるベトナムなどがありますが、横はバランスをとるのが難しいのでは?
いまさらですがタナカはミャンマーを代表する風俗。主に女性が日焼け止め、化粧の一種として顔に塗るものですが、輪切りにした木の幹を石の硯でおろして塗ります。
タナカに関するサイト に移動します
ボージョ・アウンサン・マーケット(Bogyoke Aung San Market)
旧市街北側に位置、ジャンクションシティに隣接するマーケット。以前は庶民のおしゃれな市場という感じだったが、今回行ったら外国人ツーリスト向けのお土産市場と化していた。。観光ガイド記事では行くべき所として紹介されるが、お土産を買わない、民芸品に興味がない人は行く必要はないかな。食品もありません。
ただ建物は1926年に建てられた旧スコット・マーケットなので、コロニアル建築として一見の価値あり。名前はもちろん建国の父アウンサン将軍から。
ヤンゴン市内バス(YBS)、以前はすごいオンボロバスだったのが更新されてました。ルートも分かりやすくなり、料金も安いので、使いこなせればとても便利。
ここがヤンゴンの中華街
19ストリートのあたりは中国人が多い街です。でも日本、タイ、アメリカのように中華門が作られるほど密集したチャイナタウンではないです。ランドマークは観音古廟。
ヤンゴンのチャイナタウンを紹介するブロに移動します
なんとここには珍しく焼きギョーザがありました。しかも限りなく日本のギョーザに見た目も味も近く美味。4000チャット(¥294)
普通は水餃子か蒸し餃子です。
なんとコンビニ発見。ミャンマーで初めて見た。一応24時間となっている。品ぞろえはシンプルだが、日本のそれが異常に充実しているだけ。
ミャンマー通貨チャットの紙幣です。1万チャット(¥735)が最高金額かな。
コインはありません。200チャット以下はほぼ使われません。
今晩でミャンマーとはお別れ。明朝バンコクに移動します。
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