モロッコのタンジェから再度スペインにジブラルタル海峡を越えて戻ります。港湾都市アルヘシラスの対岸に巨大な岩山が見えますが、これがジブラルタル海峡の名前の起源となったジブラルタル・ロック。この巨岩の下に広がる狭い街が、スペインの中にある英領ジブラルタルです。
歴史と因縁に満ちた街ジブラルタルを訪問してみました。
※ トップ画像はジブラルタル・ロックの展望台からの風景です
※ 2022年末よりマレーシアに移住し、クアラルンプールに住んでいます。
姉妹ブログとして『KLダイアリートラタロウ』を立ち上げました。
まだコンテンツは少ないですが、よろしければ見てください。
モロッコのタンジェからスペインへ戻ります
2016年(平成28年)12月28日(水)
14:00発の高速船でタンジェを離れ、スペインのタリファに向かいます。風が強く沖は白波が立つ状態で、欠航が危ぶまれましたが、1時間遅れで15:00出航、16:00にはタリファに着きました。
乗物酔い(船酔い)防止の秘伝(というほどの事はありませんが)をお伝えします
子供は乗物酔いになりやすいですが、大人になると平気になりますよね。トラタロウも、もう乗物酔いなんかにはならない、と信じていたら2001年夏マルタ島からシチリア島に向かう船が大揺れに揺れて船酔いしました。情けないのは2005年夏にメキシコでシュノーケリングをしていたら波が荒かったので酔いました。新しい自分を発見する事は大事ですが、実は自分が船酔いに弱かったという事実は発見したくなかったです。
乗物酔いの原因はいろいろありますが「動揺病」と言われるように乗物からの揺れるという情報を、三半規管や目・体がうまく処理できない事が主な原因のようです。トラタロウの場合は単純に目をつぶることにより、目からの情報流入をカットしたらどんなに荒れた海でも船酔いしなくなりました。
思えば1994年冬にペルーはナスカの地上絵上空で、旋回するセスナ機の中で酔ったのもこれが原因。あの時目をつむっていたら酔わなかったのに…それじゃ地上絵見えないじゃん。悩ましいところですね。
タリファ(Tarifa)はイベリア半島最南端にある街で、モロッコのタンジェとフェリーで結ばれています。
960年に建てられたタリファ城(グスマン城)と古い町並みが残るので、余裕があれば見物したい所でした。
ベルベル人の支配者タリフ・イブンマリクが街の名の語源ですが、この港町で商人に税を課したことから英語のTarifu(関税、運賃・料金表などの意)という言葉ができた(他にも諸説あり)と言われます。
YATEMOKOなるブランドのカップ麺を朝食用に購入。1.35ユーロ(¥165)だが、麺もスープもそんなに美味しくはなかった。味の素とも提携しているスペインではメジャーなカップ麺で、YAKISOBAは美味しいという日本人からの評価もあったけど。
英領ジブラルタル(Gibraltar)に行きました
バスでラ・リネアに向かいます
2016年(平成28年)12月29日(木)
英領ジブラルタル行きのバスというのはありません。公式にはスペインは英領ジブラルタルを認めていないので、隣接する街ラ・リネアに行き、歩いてジブラルタルに入るのです。
8世紀初頭、ターリク・イブン・ズィヤードを頭とするイスラム教徒軍がジブラルタルを占領しました。
岩山はアラビア語で「ジブル・アル・ターリク」(ターリクの岩山)と呼ばれ、これが変化してジブラルタルになります。今は岩山は「ザ・ロック」とも呼ばれています。
ジブラルタルは南北5km、東西1.2km、面積6.5㎡の半島状の土地で、半分以上は巨大な岩山ジブラルタル・ロック、通称「ザ・ロック」に占められています。古来からジブラルタル海峡を制圧する要衝のひとつとして、フェニキア人、ローマ帝国、ゲルマン人、イスラム勢力と支配者が移り変わってきました。
現在ここがイギリスの海外領土になっているのも1701年からのスペイン継承戦争でイギリが占領し、1713年のユトレヒト条約でイギリスが確保したからです。
それから300年、当然スペインは奪回したいのですが、いろいろあって失敗、現在に至っております。かつてはイギリスの地中海支配の要でしたが、現在もイギリス海軍が駐留しています。
スペイン側からジブラルタルに入るには検問所を通ります。観光客はパスポートを見せて通りますが、スペインは英領ジブラルタルを認めてないので国境ではありません。かなりのスペイン人が通勤で入っていきますが、その人たちはパスポートなど必要なし。スペイン的にはスペインの土地にスペイン人が行くだけ、ですので。
ジブラルタル国際空港でしかできない珍?体験
半島の付け根にあるジブラルタル国際空港では、他の空港では絶対できない珍?体験ができます。それは「滑走路の上を歩く」こと。
なんだそんなことか、と思われるでしょうが、そんな危険なことが許可される空港はありません。でも、ジブラルタルは狭いので街に入るのには、滑走路上に設定された道路を通るしかないのです。結果的に滑走路上を歩くことになります。
あいにく飛行機の離発着は見られませんでしたが、離発着時は両端の遮断機が降ろされ、エンジンに吸い込まないようにゴミ拾いが行われ、車輛の侵入を防止するバリアーが設置されるそうです。
この空港はパイロットが選ぶ、ヨーロッパで一番離発着しにくい空港(世界でも5本の指に入るとか)だそうです。
狭い場所に無理やり作った空港なので、滑走路が狭くて短い、のも理由ですが、東側からの侵入では巨大な「ザ・ロック」が実に邪魔になるそうです。
年間4000回以上の離発着があるので、事故が起こらないといいですね。
街の中を歩いてみました
英領ジブラルタルは人口3万人ほどのイギリスの海外領土です。以前はイギリスが地中海を制圧するためのコテコテの軍事拠点でしたが、現在は貿易や観光にも力を入れています。
イギリス人しか住んでいないと思ったら、英系は3割以下でスペイン、イタリア、ポルトガル系の住民も多いようです。もはやジブラルタル人と言ったほうが良いですね。
通貨もポンドですが、正確には英ポンドと等価とされるジブラルタルポンドを使っています。英ポンドも使えるそうですが、Gポンドは本国では使えないとか。
郵便ポストが赤かった。当たり前のようですが、意外と赤の国は少ないです。黄・緑・青など目立つ色を使うという法則はありますが。日本でポストが赤いのは、イギリスの制度をそのまま導入したためです。
トラファルガーの海戦 を知ってますか
1805年にスペインのトラファルガー岬沖で行われたイギリスVSフランス・スペインの艦隊決戦です。当時ナポレオンが欧州主要部を制圧し、イギリスはその海軍力で本土を守っている状況でした。この海戦では27隻の戦列艦(後世の戦艦に相当する主力艦)を持つ英海軍が、33隻の戦列艦を持つ敵連合艦隊を撃滅し、イギリスの制海権を守ります。
ナポレオンの没落のきっかけとなった海戦で、イギリス人の誇りとするところです。この海戦の旗艦ヴィクトリー号は英南部の軍港ポーツマスに保存されています。またロンドンには記念にトラファルガー広場が作られました。広場にはネルソン提督像がありますが、その下に配されたライオン像が、実は三越入口にあるライオン像のモデルです。
ただ、この海戦の指揮官ホレイショ・ネルソン提督は、海戦の終わりごろに敵の狙撃を受け戦死してしまいます。普通戦死者は現地で水葬されますが、ネルソンの遺体は国葬にするためイギリスに持ち帰られます。腐敗防止のため遺体は酒漬けにされますが、着いたときには酒がだいぶ減少しており、水兵が盗み飲みした、という伝説があります。
ネルソンが率いていたのは英海軍地中海艦隊であり、ジブラルタルはマルタ、キプロス、アレクサンドリアを結ぶ重要拠点でした。
1997年13回目の海外旅行で撮った写真ですが、うまく電子化できずボケ気味です。
ネルソンの肖像画が残るロンドンのナショナルポートレートギャラリーは歴史的有名人の肖像画が1500枚以上展示されるオススメの場所。
トラファルガー広場の近くで行きやすく、おまけに無料です。
ザ・ロックに登りました
ジブラルタル・ロック、別名ザ・ロックは高さ426mの巨大な石灰岩の一枚岩。古来よりその姿は知られており「ヘラクレスの柱」という古称もあります。ここには徒歩で登る登山道も整備されていますが、1日仕事になるのでケーブルカーで6分で登りました。ラクチンだね。
ケーブルカーは往復、ユーロ払いで18(¥2196)。Wifiも使えるらしいが、6分の乗車で景色も見ずにWifi使うやつがいるのか?
最初の乗客なのかNoが1でした。
ヨーロッパに猿はいないって知っていました? 唯一の例外がジブラルタル・ロックの自然保護区に住む、約300匹の野生猿。その昔にムーア人(イスラム教徒)が連れてきた猿が野生化したものだと言われています。バーバリマカクといわれる体長40~60cmほどの尾が短い猿で、ニホンザルにも近い種類だそうです。
「ジブラルタルから猿が消える時、イギリス軍も消える」という予言か伝説のような言い伝えがあり、昔はイギリス軍によって保護されていました。ある時激減しまして、チャーチルの命令でアフリカのバーバリマカクが移送された事もありました。
ジブラルタル・ロックの地下は総延長50kmほどもある地下道だらけ。敵に包囲攻撃されるたびに防衛のため地下道網が増えてきたとか。
常に敵を撃退してきたジブラルタルは「ジブラルタルの岩のごとく安心」(As safe as The Rock)や「堅きことジブラルタル・ロックのごとし」という表現を生みます。
日本で入っていた保険がジブラルタ生命だが、ここからとられている名前らしい。そういえばシンボルマークもジブラルタル・ロックでした。
アルヘシラス(Algeciras)の市場を見てみました
アルヘシラスはジブラルタルやロンダに行く拠点となりますが、あまり有名な観光資源はありません。鉄道でロンダに行く前にメルカード(市場)を見てみました。
荷物を預かってもらった宿の北側に市場がありました。市場を見てから宿で荷物を受け取り、鉄道駅に向かうのが効率的です。
スペインもスーパーマーケットが増えてきましたが、昔ながらの市場も良いですね。
家庭でも手軽に作れるスペイン料理がトルティーヤと呼ばれるスパニッシュオムレツ。
オムレツと言うよりは巨大な円形の卵焼きですが、具がたくさん入るのが特徴。玉ねぎ、ホウレンソウ、ベーコンなどが定番ですが、特に決まりは無く、何でもあり。唯一のきまりはジャガイモを入れることです。
タコスに使うメキシコのトウモロコシ製薄焼きもトルティーヤと言いますが、これから来ています。
アルがつく地名が非常に多いスペイン、なぜ?
アルヘシラス(Algeciras)もそうですが、スペインには頭にアル(al)がつく地名がすごく多いのです。ちょっと調べただけでアルマサン(Almazan)、アルカンタラ(Alcantara)、アルテア(Altea)などいくらでも出てくる感じ。実はalはアラビア語の冠詞(英語だとTheです)なんです。
イベリア半島は本来はキリスト教の地域ですが、711年~1492年にかけてイスラム教徒が支配していました。キリスト教徒も税金を払えば信仰は保証されていましたが、800年近い支配の中で多くの影響がアラブ圏からもたらされ、アラビア語による地名が多くのこるのも、その影響のひとつです。
アルがつくスペインの地名で一番有名なのが、世界遺産のアラブ宮殿が残るアルハンブラ(Alhambra)でしょう。これはアラビア語のアル・ハムラ(赤い宮殿)の訛りだそうです。
アルカンタラはアラビア語で「アーチ橋」を意味します。自動車内装の高級人工皮革を作る日伊合同で作られたアルカンターラ社の社名もこれを源にしています。
この後は鉄道で、断崖に架かる橋で有名な街ロンダに向かいます。
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