ジブラルタル海峡はスペインとモロッコの間にある地中海の出入口。一番狭い所は14kmしかありません。政治・戦略・交通の要衝で歴史・文学・映像にたびたび取り上げられるので一度渡ってみたかったのです。スペイン・ポルトガル旅行ですが、ジブラルタル海峡を渡り、ちょこっとだけモロッコを訪れました。
モロッコ自体は第26回海外旅行で2003年に行ってますが、ジブラルタル海峡に面した街タンジェまでは行きませんでしたので。※モロッコ通貨1ディラハム(¥12)で計算しています。
※ トップ画像はタンジェの街とイスラム衣装の現地女性
ジブラルタル海峡を渡ってタンジェに行くぞ
モロッコに行くには、とりあえずリスボンからスペインに戻らねば。リスボンを21:30発の国際バス50ユーロ(¥6100)でスペインのセビーリャへ。400kmぐらいあるはずだが、朝の5:00には着いてしまった。ポルトガル・スペインはこんなに近いのに時差があり、スペイン時間は1時間進みます。バスの休憩時間を引くと実質6時間の旅。旅行というと目的地での観光がメインだが、道中のありさまも楽しいものです。
モロッコ行のフェリーが出るタリファに行くつもりだったが、フェリーが出るもう一つの港アルヘシラス行きバスが7:15に出るのでこれにします。19.4ユーロ(¥2367)
アルヘシラスはスペイン有数の港湾都市だが、観光的には無名。でも対岸に英領ジブラルタルがあり、ロンダへ行く鉄道の起点なのでモロッコに行ったあと戻ってきます。
11:05発のタンジェMed新港行きのフェリーに乗り込む。20ユーロ(¥2440)
タンジェの街に直接入る便ではないようだが、最短距離を往くので1時間20分ほどで着いてしまうようだ。
上図のようにジブラルタル海峡は狭いのでヨーロッパとアフリカを両方一度に見れます。これを写真にとるのは難しいが。フェリーはタンジェから50kmほど離れたMed新港に着きます。
映画『Uボート』に見るジブラルタル海峡
地中海は狭くて気温が高いので海水の蒸発が多く、大西洋にくらべ塩分濃度が高くなります。この塩分濃度差により地中海・大西洋間、つまりジブラルタル海峡には潮流が生まれます。上層には地中海から大西洋に向かう潮流が生じ、下層には逆の潮流が生まれるのです。
1981年に西ドイツで作られた戦争映画『Uボート』では、潜水艦がこの潮流を利用し、モーターを止めて無音で地中海に侵入を試みるシーンがありました。でも、軍事基地英領ジブラルタルで見張っている英海軍に発見されてボコボコにされてしまいます。
英領ジブラルタルは海峡を制圧する軍事基地として、戦争によりイギリスがスペインより獲得しました。モロッコに隣接するセウタも同様の理由でスペイン領になっています。地中海の出入口ジブラルタル海峡は古来より紛争の地でもあります。
Med新港からタンジェの街までバスが運行されていると聞いたがその影無し。コレクティーボ(乗合タクシー)が来たので1人5ユーロ(¥610)でタンジェに向かう。
タンジェまで1時間半ほど。14kmから45km(ジブラルタル海峡の幅)しか離れてないイベリア半島とアフリカ北岸のモロッコは同じ地中海性気候で見た目にはほとんど変化がない。家など文化的な物は変化があるかな。
到着しました、旧市街で宿探し
タンジェに入るが新市街は近代的ビルにアルファベットが書いてあってモロッコらしさ無し。でも道行く女性は民族衣装ジュラバで頭髪をスカーフで覆うイスラームの服装規定ヘジャブを守る。
男性はズボンが多いが一部の人はジュラバを着用していた。
とりあえず昼食。やはりモロッコらしい物が食べたいのでタジン料理。円形のタジン鍋に具材を入れ、円錐形のフタをして火にかけます。蒸気が内部で循環するので、水を使わず蒸し料理ができる砂漠らしい工夫の調理法。ジャガイモ、ニンジンを入れると肉ジャガみたいな感じになります。
飲み物はミントティーが定番ですね。
カスバの中にあるモロッコ建築のお宿に泊まる。タイル張りの壁がモロッコらしいね。朝食付きで24ユーロ(¥2928)、トイレ・シャワーは共同。
タンジェ(Tanger)のカスバを探索するのです
タンジェ(タンジール)はモロッコ北部に位置する人口95万人ほどの街です。ジブラルタル海峡に面する交通の要衝で、古来よりフェニキア人、ローマ帝国、ヴァンダル王国、ビザンツ帝国、イスラム勢力と、時代ごとの主要勢力が支配を続けてきました。
なのに…あんまり有名な名所が無いぞ。旧アメリカ公使館だとか博物館だとか、ある程度の見所は調べると出てくるが、これは絶対見なければ、これが有名なあれか、というような名所がありません。要衝を守る城とか城塞とか軍港とか無いのか。
昔からある城壁に囲まれた旧市街(メディナ)、マグレブ(モロッコ、チュニジア、アルジェリアなどの北アフリカ西部諸国総称)ではカスバと呼ばれる、を歩きまわるのが観光です。街歩き好きですけど。
※ メディナとカスバはどう違うんだ?これが回答になるかな に移動します
※ その昔 『カスバの女』という曲がヒットし、かなりの歌手がカバーしています。日本にカスバという言葉が伝わったきっかけでしょうが、若い世代には死語かな。
城壁に囲まれた旧市街の西側は市場、商店街、ホテルなどが並ぶ商業地区になっている。国際都市らしく外国人が来ることを意識している感じ。
地元民の居住区に迷いこみます
モロッコはパンが主食の国。メインはホブスと呼ばれるちょっと固めな丸パンで、エジプトのパンに似ています。他にも様々なタイプのパンがありますので一部を紹介しました。
2003年に初めてモロッコに行った時、長距離夜行バスに乗る前に色々なパンを買い込んで、後で楽しもうと思ったら、降りるときバスの棚に忘れてきてしまいました。こういう事は忘れませんね。
ラクダで往くサハラ砂漠ツァーに参加して、野外のたき火で焼くパン、簡単なかまどで焼くパンも見ることができました。モロッコに行ったらオススメのツァーです。
※ モロッコのパンを紹介するブログ に移動します
居住区の家々は基本白色だが基部はブルーで塗られている家が多かった。同じマグレブのチュニジアも窓や扉を鮮やかなブルーに塗った「チュニジアンブルー」で知られるが、これに近い感じ。
家を外から見るとただの壁だが、中に入ると中庭があったりして以外に広い空間が広がっている。
街歩きのハイライトはスーク(市場)巡りです
現地の人々の生活の様子が垣間見えるのが市場。トラタロウはどの国に行っても市場を見に行きます。タンジェの街の中心部はいたる所に屋台店が出ており、全体が市場みたい。アラビア語で市場をスークという。ちなみにバザールはペルシア語由来です。
野菜・フルーツ・肉売り場
魚介売り場
イスラム教国の中には女性はあまり外にでるべからず、という信条の国があり、市場で売り手も買い手も男だけという国もあります。モロッコはその点おおらかで女性も市場にいました。
※ 市場は売り手も買い手も男だけというイスラム教国、ちょっと思い出すとシリア、イラン、パキスタンなどでした。ちょっと保守的な国が多いかな。
たいがいの国で魚は横に寝かせておいてあるが、ここの市場では一部の魚は立ててディスプレイ。背びれは切られているようで、坊主頭の魚ににらまれているようだ。
いろいろな市場
でかい帽子をかぶって商売する人たちがいる。民族衣装の一種かな?
街の中心部にあるグラン・ソッコという広場。四方に道が通じており、どこへ行く場合も起点となる。サイド・ボウアビッドというモスクがあり、そのミナレット(尖塔)がランドマークになります。
タンジェに行ってみたかった理由のひとつが、グラン・ソッコに面した公園にイブン・バットゥータのお墓があると聞いたので。バックパッカーの大先輩みたいな偉大な旅行家のお墓にお参りしよう…と思ったらなぜか公園は閉鎖されていました。
イブン・バットゥータを知っていますか?
ほとんどの人は知りません。高校世界史の教科書にはイスラム文化関係でかろうじてのっていますが、全然有名ではありませんね。でもすごい旅行家でした。
1304年にタンジェで生まれた法曹家ですが、若い時から旅を続け東・西・北アフリカ、中東、南・中央・東南アジア、東欧、中国と当時の交通事情からするととんでもない範囲を旅行しました。この30年にもわたる旅の記録は『三大陸周遊記』にまとめられています。
1368年に没したとされますが、タンジェに残る白い廟が彼の墓と伝えられています。タンジェの空港は、彼にちなんでイブン・バットゥータ空港と名付けられました。
短いモロッコ滞在でしたが、午後のフェリーでスペインに戻ります。物価の安さから見るともっとモロッコにいたい気持ちになってしまいますね(笑)。お気に入りの国なので、いずれ3回目の訪問もあるかも。