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海外旅行記NO55 スペイン・ポルトガルちょこっとモロッコ②ポルト、リスボン編

目次

ポルトガルの古都ポルト(Poruto)にバス移動

  2016年(平成28年)12月24日(土)
 サンティアゴ・デ・コンポステーラから長距離バスで、ポルトガルに入り古都ポルトに向かいます。ポルトガルは二回目だけどリスボンだけだったのでポルトは初めて。ポルトガルの語源にもなった建国の地で京都みたいな所かな。

 ※ トップ画像はドン・ルイス1世橋から見るポルト歴史地区

田園風景
スペイン北西部の田園風景
バス
最大手ALSA社の便、33ユーロ(¥4026)
牡蠣棚
海に浮かぶは牡蠣棚かな?
行程図

 スペインは1万5千Kmもの鉄道網を持ち、主要都市間は鉄道で結ばれている。ポルトへも鉄道で行こうかと考えたが、乗り換えが難しくて断念。
 山がちな国土を細かく網羅するバス便も発達しており、ポルトまで233Kmを3時間15分で着きました。

ビゴー
スペイン側最後の街ビーゴを通過、ポルトガルに入る
城壁
ポルトガルに入ると城壁のような物が見えた
ポルト
ポルトの街に着きました。
メトロ
6つの路線があるポルト・メトロ
民宿
民宿のような宿25ユーロ(¥3050)

 ポルト郊外のバスターミナル着。メトロ駅が隣接していて市内に入りやすいのだが、
①チケットは現金はダメでカード必要 ②自動販売機が少ない ➂販売機に英語の説明がない ④行先の表示が少ない ⑤無人化が進んでいて駅員がいない、聞けないととまどいます。
 とりあえず予約してある宿へ向かうのだ。

クリスマスイヴのポルトを歩きます

夕暮れ
そろそろ日が暮れる

 ローマ時代にポルトゥス・カレ(Porutus Cale 、カレの港)と呼ばれたこの地に王国が起こり、ポルトガルと呼ばれるようになりました。現在もリスボンに続く第二の都市(市内24.4万人しかいないけど)として栄える。港町で昔からの輸出特産品がワイン、イギリスではポートワインと呼ばれました。
 クリスマスイヴの夜を歩いてみます。

教会
サント・イルデフォンソ教会、1739年
市電
バス、メトロの他に市電も走る街。
新型車両もあるがクラッシックなやつも現役
リベルターデ
街の中心部リベルターデ広場
市庁舎
中央奥の塔が市庁舎
教会2
アズレージョ(青タイル)のあしらわれる教会
クレリゴス
聖クレリゴス教会の坂道
噴水広場
ポルト大学前の噴水広場
カルモ教会
大きなアズレージョで飾られるカルモ教会
お菓子屋
お菓子屋だけが開いていた

 クリスマスイヴなのでほとんどの店は早く閉まっていたが、お菓子屋だけが最後の稼ぎ時とばかり開いている。いろいろ派手なケーキ類が目立つな。

お菓子1
良く言うと派手、悪く言ううと大雑把なデコレーション
画像をクリックすると拡大します
お菓子2
これから比べると日本のケーキデコは精密そのもの
フランセジーニャ1
この店は6ユーロ(¥732)で提供
フランセジーニャ2
切ると肉とチーズで断面ができる

ポルトの名物料理であるフランセジーニャ(Francesinha)をいただく。もとはフランスのホットサンドであるクロックムッシュをアレンジしたものらしい。薄いパンにロースト肉、ハム、ソーセージなどをはさみチーズで包んで焼いてソースをかけた物。「フランスの女の子」というカワイイ名前に反し、タンパク質のオンパレードでサンドイッチらしさはほぼ消滅。フライドポテトと共にいただくと恐るべきカロリー量となります。厳密なレシピは無く各店でいろいろ工夫しているようだ。

 ※ フランセジーニャを紹介するブログ に移動します

タルト
デザートにタルト、エッグタルトもありました
レオとイルマオン
レオとイルマオン書店も閉まってます

 ポルトにあるファンタジックな内装の書店として知られるのが「レロ・エ・イルマオン」。内部を見て見たかったがすでに閉店。明日も午前中は開かないよね。午後にはリスボンに行っちゃうよ。

 ※ レオ・エ・イルマオンを紹介するブログ へ異動します

サン・ベント駅(Estassao de Sao Bento)のアズレージョ

エントランス
エントランスの四方がアズレージョ絵画に覆われる

ポルトガルを代表する美術がアズレージョ(Azulejo)。上薬をかけて焼いた青いタイルに描いた絵であるが、教会の装飾の必需品。1900年にマルカス・ダ・シルバ設計によって建てられたサン・ベント駅は、そのエントランスが2万枚のアズレージョによって飾られ、世界で最も美しい駅と称えられる。

ジョアン1世
歴史物が多い、ジョアン1世のポルト入城
庶民生活
庶民生活を描いた物もある
エンリケ
ポルトのご当地ヒーローがエンリケ航海王子、モロッコのセウタを描くbyジョルジェ・コラコ
天井
天井付近には色彩画
騎馬戦闘
騎馬戦闘シーン
ボザール様式
フランスのボザール様式というが、そうなんですかとしか言えません
戦国絵巻
戦国絵巻という感じ、15世紀はポルトガル、スペイン、イスラム勢力が三つ巴で争う
終着駅
ヨーロッパに多い終着駅形式のホーム
駅外装
駅の外装です

この地のハイライトはドン・ルイス1世橋

人っ子一人通らないクリスマスの朝の街

 2019年(平成28年)12月25日(日)
 キリスト教国のクリスマスは旅行者には鬼門。何しろ聖なる日であり、教会に行くなり家族で過ごすなりするため、少なくとも午前中は店舗・観光地はもとより公共交通機関まで停まってしまう。閉鎖に関係ない観光地としてドン・ルイス1世橋に行こうとしたが、案の定メトロは停まっており、歩いて出かけました。

ドウロ川にかかる橋が見えてきた
川の南にはセラドピラール修道院

ドン・ルイス1世橋はポルトの南に流れるドウロ川にかかる橋。1886年にエッフェルの弟子であるセイリグの設計で建設された。全長395mの橋上や対岸から見るポルト歴史地区は美しく、ガイドブック等に必ず載る風景を見ることができる。

現在最上部は歩道とメトロ道
歩いていると、すぐ隣をメトロが通過する
橋の下はリベイラ地区というカフェの多い観光地
クレリゴス教会の塔が見える
画像をクリックすると拡大します
橋の上からの風景、全長897kmのドウロ川の河口に近い
ポルト歴史地区

 ドウロ川の北の丘陵地帯に広がるポルト旧市街。ポルトガル発祥の地であり、数々の歴史的建築物のため1996年「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録されている。

坂道を下ってリベイラ地区へ
ロマネスク様式のポルト大聖堂がありました
リベイラ地区から橋とセラドピラール修道院を見上げる
橋の上をメトロが通る
カモメにパンをあげました

クリスマスの朝のポルトを歩く

ボルサ宮
1800年に建てられた王宮・ボルサ宮

 クリスマスの午前中はどこも閉まってます。トラタロウが子供の頃のお正月はまだコンビニも無く、開いてるみせは皆無でしたが似たような状況です。外観だけを見れる名所を周りました。

クレリゴス教会
1732年建立の聖クレリゴス教会、その塔はポルトのシンボル
ポケモン
ここにもポケモンが
お土産
お土産屋台は出てました
リベルターデ広場
リベルターデ広場のドン・ペトロ4世騎馬像
ポルトガル銀行
ポルトガル銀行かな
クレリゴスの塔
高さ76m、聖クレリゴス教会の塔
サンタカタリーナ
繁華街サンタ・カタリーナ大通り、店はすべて閉まってます
マジェスティック
有名なカフェ・マジェステイック
アルマス聖堂
アズレージョが有名なアルマス聖堂
青タイル1
青タイルで描かれる聖画
青タイル2
インドのゴアにもあったな

24年ぶりのリスボン(Lisbon)です

宿に戻って預けておいた荷を受け取り、少し郊外のカンパニャン駅へ。12:52発のリスボン行きインターシティに乗り込みます。リスボンまで約300km3時間で着きました。

カンパニャン駅
カンパニャン駅の窓口
列車
クリスマスのせいかガラガラ
切符
指定席で24.3ユーロ(¥2965)
歴史地区
発車すると右手にポルト歴史地区が見えました
自転車置き場
さすがヨーロッパの鉄道、自転車置き場があります
サンタアポローニャ
昔と変わらぬたたずまいの駅

 リスボンで長距離列車が発着するのがサンタ・アポローニャ駅。1回目は1992年冬スペインからの夜行列車で着きました。列車の中で眼鏡のレンズがはずれてしまい、着く早々眼鏡屋を探したことを覚えています。
 駅のたたずまいは変わりませんが、昔は無かったメトロができていたのがありがたい。大荷物を背負ってお宿のあるバイシャ地区まで歩かずにすみます。

1992年のサンタ・アポローニャ駅
1992年のサンタ・アポローニャ駅
若かりしトラタロウ
若かりしトラタロウです、ベレンの塔にて

 昔と変わらぬサンタ・アポローニャ駅と思ったが、1992年のアルバムを見ると赤茶色の塗装で全然違ってました! トラタロウも30歳くらいで若いのです。

バイシャ地区
碁盤目状の下町バイシャ地区
焼き栗
冬の名物焼き栗屋
ロシオ広場
ロシオ広場のモニュメントが見えてきた

リスボン・Lisbon(ポルトガル語ではLisboa、リジュボア)は言わずと知れたポルトガルの首都。かつてはイスラム勢力(ムーア人)の支配下にあったが、ボルゴーニャ王朝の創始者アフォンソ1世が1147年に奪回しポルトガル王国の首都となる。
 ポルトガルは今は大きな国ではないが、大航海時代は香辛料貿易を独占し、欧州随一の金満国家だった。その栄華の跡がリスボンの随所に残る。

ロシオ広場2
街の中心ロシオ広場(ペドロ4世広場)
サンタジュスタのリフト
サンタ・ジュスタのリフト(1902年)
エッグタルト
クリスマス菓子やエッグタルトを売っている
クリスマスデコ
クリスマスデコがある広場
お宿1
ロシオ広場に近い民宿のような宿
1泊27ユーロ(¥3294)とリーズナブル
画像をクリックすると拡大します
お宿2
普通の部屋に無理やりつけたような簡易シャワー

大人のオモチャ箱ペーナ宮殿(Palacio Nacional da Pena)

ペーナ1

 リスボン市内は前回いろいろと周ったので、今回はリスボンの西に位置するシントラ(Sintra)地区にあるペーナ宮殿に行ってみました。1836年にポルトガル女王マリア2世の王配にして共同統治者のフェルナンド2世が建てさせたオモチャ箱のような城です。

朝のロシオ
朝のロシオ広場を散歩
タラのコロッケ
名物干しタラのコロッケで朝食
パン
パンもでかい、コロッケとで2.2ユーロ(¥269)
近郊列車
近郊への列車がでるロシオ駅

 お宿近くのロシオ駅からシントラ行きの列車がでます。観光客でほぼ満席になりました。ツーリスト用のお得な1日券、リスボアカード(18.5ユーロ=¥2257)を買ったので切符は買わなくても行けます。
シントラ駅に着いたらすぐペーナ宮殿行のバス(434番線、往復5ユーロ)に乗りましょう。バスの運行数は限られているので、うかうかするとすぐに満席・満員となり待つことになりますので。山道を進み20分ほどで入口に到着。

※ リスボアカードを説明するコンテンツ に移動します

バス停
バス停です

434番(上の看板)はペーナ宮殿行で混みますが、1時間に4本。下の看板は435番でレガレイラ宮殿方面に行くバスです。

切符
シントラ王宮
途中でシントラ王宮脇を通過
入口
ペーナ宮殿入口

 シントラはイギリスの詩人バイロンに「この世のエデン」と呼ばれましたが、ペーナ宮殿の他にシントラ宮殿ムーア人の城塞跡などの見所もあります。歴史的価値はともかく面白そうなのがレガレイラ宮殿。王族の別荘を改装したお城ですが、ドラクエ世界のような雰囲気で人気です。

 ※ レガレイラ宮殿を紹介するブログ に移動します

坂道
坂道を登る、樹間から城が見えてきます

 標高528mの山モンテ・ダ・ペーナの山頂には修道院がありましたが、1755年の地震で崩壊。この地を訪れたフェルナンド2世が買取り自分好みの城を築かせます。1995年に「シントラの文化的景観」として世界遺産に認定されています。

ゲート
入場料リスボアカード1割引きで10.35ユーロ(¥1263)
案内図
ゲート2
ゲートです、色々な様式で造られているようです
パンフ1
パンフレット英語版
パンフ2
この写真は撮れる場所があるのかな?
自己撮り
記念撮影、隣の人は関係ありません

 ムデハル(キリスト教・イスラム教美術の融合)、ゴシック、マヌエル様式、ルネサンスなど雑多な様式の組み合わせだとか。まあ、どれも区別はつきませんが。

トリトンの門
内部への入り口がトリトンの門
フェルナンド2世
フェルナンド2世肖像
ムーア人の城塞
ムーア人(イスラム教徒)の城塞跡が見える
急斜面
けっこう急な斜面
イスラムチック
イスラムチックな装飾
礼拝所
礼拝所
中庭の回廊
中庭の回廊
食堂
わりとこじんまりした食堂
厨房
厨房の方がでかいな
いろいろ

 フェルナンド2世はドイツ領邦国家の出身だが、英のヴィクトリア女王夫妻とは従兄、ベルギー国王の甥、ブルガリア国王の叔父と婚姻関係でこり固まった欧州上流階級らしい血縁の持ち主。
 ファンタジックなお城といえば、ドイツのノイシュバンシュタイン城。これを造らせたババリア王ルードヴィッヒ2世が有名だが2人は従弟だそうです。ペーナ城の方が30年ほど早く造られましたのでノイシュバンシュタイン城に影響を与えているかも。

いろいろ2
いろいろ3

リスボンお約束の名所がベレン(Belem)地区

 リスボンはあまり観光する予定はなかったが、同行者が発見のモニュメントを見たいというのでベレン地区へ。バイシャ地区のフィゲイラ広場からトラムで西に30分。世界遺産のジェロニモス修道院ベレンの塔もある有名な観光地です。

見取り図
ジェロニモス修道院でトラムを降りて徒歩圏内
ジェロニモス修道院

ジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)は1502年に着工され、インドとの香辛料貿易で得た有り余る富を注ぎ込んで300年あまりかけて完成したポルトガル富貴時代のシンボル。1983年にベレンの塔と合わせて世界遺産に登録されました。
 リスボアカードがあれば入場無料なので入ろうかと思ったら月曜日は休館でした。まあ、前回見ているんで良いのですが…負け惜しみ。

テージョ川
テージョ川と4月25日橋
夕陽
テージョ川は夕陽の名所
発見のモニュメント
なんだか修理中

 発見のモニュメント(Padrao dos Descobrimentos)は1960年に建てられた大航海時代を記念するモニュメント。キャラベル船を模した高さ52mの記念碑で、先頭のエンリケ航海王子を含む33名の航海者の像が配されている。広場には世界地図が描かれ「発見」の年が刻まれるが「日本発見」は1541年とされる。

エンリケ航海王子
先頭はエンリケ航海王子
テージョ川2
この川から多くの探検・貿易船団が出港した
画像をクリックすると拡大します

     航海はしなかった航海王子
 世界史の教科書にも出てくるのがエンリケ航海王子(Infante Dom Henrique)。イスラム勢力を駆逐しアヴィス王朝を創始したジョアン1世の三男で、探検や航海者の援助を行い、西アフリカ探索を進め、これが後の喜望峰到達、インド到達につながるため航海王子と呼ばれました
 本人は船酔い体質だったと伝えられ、実際の航海はしていませんが、それは王族の仕事ではないですよね。

ベレンの塔1

発見のモニュメントの西に立つのはマヌエル1世によって1515年に着工されたベレンの塔ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して建てられたが、テージョ川の監視という実用性もある。その白く優美な姿は「テージョ川の公女」と称えられています。

        幸運王マヌエル1世
 ポルトガルに残る建築物を調べると建設者マヌエル1世マヌエル様式の名がたびたび出ます。
マヌエル1世は在位1495年~1521年のポルトガル王だが王位継承順位が低かったにもかかわらず王位につけたことと、その在位期間にインド航路開拓・香辛料貿易独占で膨大な利益をあげ、ポルトガル王国の全盛期を現出できたことから幸運王と呼ばれました。
 国内ではその財力を背景に中央集権化を進め、絶対王政を実現。王の権威の象徴としてジェロニモス修道院を始めとして数々の建築物を建てさせました。
 大航海時代らしく、天球儀、船、海藻、貝など海や航海に関連する物やインド・南米の文物モチーフにした建築様式が確立しマヌエル様式と呼ばれます。

ベレンの塔2
ベレンの塔の夕陽
夕暮れの塔
漁船と夕陽
テージョ川の漁船と沈む夕日

リスボン雑景

バイシャ地区から見上げれば丘の上にサン・ジョルジェ城
拡大すると城壁が
古い市電が古都らしい雰囲気

リスボンの市電(トラム)は1873年創業(当時はまだ鉄道馬車)と長い歴史を持つ。1901年に電化され、モータリゼーション化やメトロの開通にも負けず5路線、総延長48kmで現在も運行。新しい車輛もあるがクラッシックなやつも現役だ。

トラム起点のひとつフィゲイラ広場
新型車輛の内部
オリエンテ駅に隣接したモールができていた
その名もヴァスコ・ダ・ガマ、すげえな
モールの内部、飲食店が充実している

 1498年5月20日、ヴァスコ・ダ・ガマ率いる船団がインド南西カリカットに到達したのがインド航路の開拓で、ポルトガルそして欧州諸国が世界に進出、やがて世界を制圧する起源となります。
 ポルトガルや欧州から見れば偉人でしょうが、制圧された地域の人たちから見れば大悪人。1497年ヴァスコ・ダ・ガマが立ち寄った東アフリカのマリンディ(現・ケニア)には彼が建てさせたという十字架がありますが、こんな落書きもありました。

ヴァスコ・ダ・ガマの十字架

 ヴァスコ・ダ・ガマもひどいヤツでイスラム教徒の虐殺とかやっています。まあ、長年イベリア半島を支配していたイスラム勢力をやっと駆逐したという時代背景もありますが。
※写真は1998年のケニア・タンザニア旅行時のものです。

焼きビーフ、豆、揚げバナナ、ポテトのセット
ブラジル的な組み合わせ?7.4ユーロ(¥903)
シュラスコ・セット 5.9ユーロ(¥720)
シュラスコって元はポルトガルなの?
スーパーにはご飯付きのお弁当あり
伝統食バカリャウ(干しタラ)売り場
画像をクリックすると拡大します
夜のジェロニモス修道院
夜の市電
観光客でにぎわうバイシャ地区
名物イワシ焼き定食、8.5ユーロ(¥1037)
タラの焼き物定食、8.5ユーロ

 ポルトガルを代表する食材が干しタラのバカリャウ(Bacalhau)。昔から冬場に食物が不足する欧州の保存食が干しタラ。保存食とした他にカトリックでは肉食禁止期間があったので、その時期の主要食材として重宝されました。ポルトガルはバカリャウを食べる習慣が今も続き、多彩なレシピがあります。

 ※ ポルトガルのバカリャウを紹介するサイト

 に移動します

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この記事を書いた人

 トラタロウは元世界史・地理の教員です。授業のネタにするため毎夏・冬休みにバックパッカーとして海外旅行に出かけ、83ヶ国を訪れました。旅行情報や旅ネタを紹介していこうと思います。
 2022年(令和4年)11/30よりマレーシアに移住しました。クアラルンプールに住み、姉妹ブログ『KLダイアリートラタロウ』を作って、移住やマレーシアの情報を発信する予定です。
 でも当分はネット環境構築でうまく更新できないかもしれません。
 

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