第66回目の海外旅行ですが、現在住んでいるクアラルンプールからの出発なので隣国への旅です。
第四弾はジャワ島中央北部の海港都市チルボンからバンドンに移動。さらにボゴールに足を伸ばします。
今回は全日程26日間と長めに設定しましたが、大きな国なので中心部となるジャワ島のみです。
遺跡・博物館や自然公園などは現役時代に散々行ったのであまり行きません。街歩き、市場巡り、ローカルグルメを中心とするのんびり旅行になります。


旅の出費(2人分・26日間)
・航空券(マレーシア・インドネシア往復)
¥28302(1人¥14151)スクート利用
・海外旅行保険…¥4393
・クアラルンプール・空港往復…¥2310
・到着ビザ…¥11900(2人分)
・現地滞在費…¥108398
合計…¥155303(1人¥77651)
※ 日本から行くのに比べて航空券が格段に安く、お金のかかる観光をしていないため安上がりです。
※ 2025年(令和7年)8/1(金)~8/26(火)の記録です。

※ インドネシア通貨は1000ルピア=¥9で計算しています。単位が大きいので〇〇千ルピアと書きます。例:10000ルピアなら10千ルピア=¥90、という感じ。現地では千を意味する記号Kを使い、10Kなどという表示も見ます。
※ インドネシアB級グルメ関係はこちら
世界のB級グルメ/27 屋台・ローカル食堂飯 in インドネシア
世界のB級グルメ/28 麺類事情 in インドネシア
世界のB級グルメ/29 お菓子 in インドネシア
バンドン( Bandung ) に向かいます
チルボンから西ジャワ州の州都バンドンに移動。ここは鉄道が無いのでバスです。
乗り合いワゴン車で行きました
2025年(令和7年) 8/16(土)
お宿から500mほど離れた大通りに行くと、バスターミナル行きのアンコット(乗り合いワゴン車)に乗れます。15千ルピア=¥135、15分ほどで到着。
バスタでは係員みたいな男が料金表を提示するが、高速を使う大型バスは120千ルピア=¥1080と高い。
もっと安い便があるというので80ルピア=¥720払って案内されると、長距離アンコットであった。バスタの男がドライバーに何か話しかけて無事乗れます。

下の道だと倍かかります

長距離アンコットは山道をのんびり走り4時間でバンドン郊外に到着。
降りるときにドライバーに料金を請求された。これはドライバーが二重請求しているのか、バスタの男がちょろまかしたかは不明だが、地元民どうしで解決してくれ。スマホ翻訳で「もう払っている、バスタの男からもらってくれ」とインドネシア語を見せました。しばらくゴネられたがドライバーもあきらめる。
※ 今回は鉄道移動が多くてバスターミナルはほとんど利用していません。どうもインドネシアのバスターミナルは旅行者をカモにしようという集団がいる感じです。


バンドン郊外で降ろされたので中心部まではまだ遠い。アンコット(10千ルピア=¥90)で市の北側のバスターミナルまで行くと、お宿方面に行く市内バス(4千ルピア=¥36)がありました。

バンドンのお宿は RedDoorz near Pasar Baru Bandung 、市場に近いどころか市場の隣です。1泊243千ルピア=¥2190 と大都市の割に安いし、バンドン駅至近、部屋もキレイ、エレベーターもありました。
誤算だったのが商業施設が多いので夜もにぎやか、と思ったら日が暮れる7時頃には店舗・市場・屋台はほぼ閉まってしまい、暗くてあまり外を歩く雰囲気ではなくなったこと。繁華な昼間とのギャップが大きいのです。



お宿周辺は市場街。新し気な店舗、移動式屋台、天秤棒の物売りまで新旧の販売様式が見れます。




バンドンのバス事情
ジャカルタ、スラバヤに続くインドネシア第3の都市なのでバス路線はあります。トランス・メトロ・バンドンの運行するバスが主要道路をカバー。でも本当に主要道路だけで多くの路線はアンコット(乗り合いワゴン車)が担当している感じ。


E-Money カード 使用可能。前のドアから乗ると運転手の横に読み取り機があるのでかざすだけ。均一料金なので1回あてるだけだが、路線によって料金が違うみたい。




アジア・アフリカ会議博物館に行ったけど
2025年(令和7年)8/17(日)
お宿から歩いて15分ほどの所にあるアジア・アフリカ会議記念館に行ってみた。ネルー、スカルノ、周恩来、ナセルなどそうそうたるメンツが集まりました。

でも閉まっていました。今日は独立記念日なのでお休みなのね。

日本人がバンドンという地名に記憶があれば、バンドン会議(アジア・アフリカ会議)かも。1955年に当時独立を果たしたAA諸国29ヶ国がここに集まりました。参加国の人口を合わせると、当時の世界人口の半分に達したそうです。

休日の朝の大通りはジョギングにはげむ市民でにぎわう。漫画『ワンピース』のドクロマークを付けている人あり。後で知ったが「政府への抗議」の意味があるらしい。この月の末に発生した全国規模の反政府暴動でも使われていました。


朝食販売屋台が集まっている場所を発見。地元民に混じっていただく。


クエアペやバンドロスといったローカル焼き菓子もいただく。


独立記念日の街を歩いてみた
今日は80回目の独立記念日。第二次世界大戦以前のインドネシアは長らくオランダに支配されていました。大戦初期にオランダ勢力は日本軍に駆逐され、インドネシアも日本支配下へ。日本敗戦後の1945年8/17に独立宣言が出されますが、オランダが承服せず独立戦争となり、実際の独立は1949年12月です。


アンコット(5千ルピア=¥45)で街の中心部に行ってみた。


バンドン中心部のひとつがグゥトウン・サテ( Gedung Sate )。1920年にオランダの建築家ガーバーにより建てられた官庁。新古典主義とやらの様式みたい。

なにやら鳥の格好をして写真撮影のチップをもらう商売あり。どうも国章の鳥みたい。
インドネシアの国章は「ガルーダ・パンチャシラ」(Garuda Pancasila)と呼ぶインド起源の神鳥。
フラッグ航空会社もガルーダ航空ですね。タイの国章もガルーダで、仏教では迦楼羅(かるら)と呼ばれます。


屋台がたくさん出ているので買い食いを楽しみます。チェンドル¥90、オンデオンデ¥45。
その他にもこんなもの。




おしゃれな店が集まるというダゴ通りに行ってみた。





夕食はお宿近くの麺屋。
ビーフンマニス(甘醤油和え麺)、ヤミンマニス(甘醤油焼きそば)、バクソ(肉団子スープ)。
どれも10千ルピア=¥90。

2025年(令和7年)8/18(月)
朝食を求めて近所の市場に行くが、飲食店はゼロ。周辺を散歩してご飯屋台をみつけます。


大通りから下町に入ると朝食屋台発見。


ザ グレート アジア アフリカ はリトルワールド
アジアとアフリカの建物を再現した施設です。愛知県犬山市にある世界の建物を移築・再現したリトルワールドみたいですが、比べるとだいぶ緩い作りだが楽しい。

お宿から施設までは12Kmほど。バスは無いようですがアンコット(乗り合いワゴン車)があるので、渋滞しなければ50分ほど。運賃17千ルピア=¥153で着きました。


THE GREAT ASIA AFRICA はアジア・アフリカ諸国の建物を再現したテーマパーク。でも再現度はだいぶ緩い感じです。アジア・アフリカとは言っても実質韓国・タイ・インド・中国・日本だけ。

山の谷間に施設が広がります。入口から谷に降りていきますが、有料のゴンドラもあります。
入場料は50千ルピア=¥450。外国人料金はありません。外国人あまり来そうにないか。






面積と建物の多さで断トツなのが日本館。でも何だか微妙に違う日本家屋です。

鯉がいる池のそばに日本家屋が並びますが違和感満載。屋根の勾配とか窓とかが違うよ。日本人じゃなければ感じないかもしれないが。




2019年にオープンしたらしいが、地元民はけっこう楽しそうに見ていました。
入口付近には各国料理店あり。その奥では入場券でジュースが一杯もらえます。
大きなモール パリス・ヴァン・ジャワ に寄ってみた
帰りに往路通りかかった大きなモールに寄ってみました。ただモール前は一方通行なので、かなり離れた反対車線で降りて歩きます。
この辺りはモール開発と道路の整備が合ってなくて、週末・祝日はかなり渋滞しそうです。
道路脇で着ぐるみでチップを集める商売あり。インドネシアはパフォーマンス屋が多いが、仕事が少ないのかな。


Paris Van Java で「ジャワのパリ」かな。大きなモールでスケート場やミニ動物園もあるとか。
イオンが入っていて、日系飲食店も20近くあります。




お宿に近いバンドン駅に行くアンコットで帰ります。ただお宿と反対側の駅前で降ろされたので、だいぶ歩きました。


首都にも近い ボゴール( Bogor )まで来ました
ジャカルタの南 60Kmに位置する都市ボゴールは、オランダ支配時代に開発されました。首都とは鉄道で結ばれ、朝夕に多くのコミューターが発着し1時間でジャカルタに行けます。
ジャワ島東部のスラバヤから出て西に進む旅の終着地点がジャカルタ。旅も終わりが見えてきます。
バンドン・ボゴールのバスは大回り
2025年(令和7年)8/19(火)
今日はバンドンからボゴールに移動。ボゴール行きのバスは街の南側にある Terminal Bis Leuwipanjang から出るみたい。幸いお宿近くのバス停からバスタ行きの4番バスに乗れます。料金は2.7千ルピア=¥24。
朝のラッシュ時ですが40分ほどで着きました。


バスターミナルで表示に従って進むとボゴール行きバス乗り場に到着。発車時刻と運賃を書いたバナーもあって安心。前回のバス移動ではボラれた?のでバスタは油断できません。


バスは定刻8時に出発。でも最初の40分は市内をゆっくり走り客集め。その後高速道路に乗ります。
バンドン/ボゴールは最短距離の山越えかと思ったら、高速道路でジャカルタ郊外まで行き、その後南下するルートでした。その方が早いのかも。


高速道路からの風景に特筆すべき物は無し。ただジャカルタ/バンドンを結ぶ高速鉄道の高架を見ました。日本と中国が受注を争い、中国製になりましたが現在も赤字といういわくつきの鉄道です。
11:30にボゴール着。どうもこの街は市内バスが走っていないようなので、アンコットでお宿へ。

ボゴールの宿は Wisma Juanda Bogor 1泊150千ルピア=¥1350。鉄道駅と繁華街の中間でロケはOK。お湯がでなかったが部屋はまあまあでした。


繁華街のモールに行きました
人口118万人とそこそこの大都市だが、高層ビルなどは見かけない。首都圏ののどかな衛星都市といった感じ。

植物園の南側が市場が広がりモールもある繁華街。BTM Mall 上階のフードコートから下町の風景を俯瞰できます。









東洋一の植物園です
2025年(令和7年)8/20(水)
朝は駅の北側に広がる野外市場に行ってみます。




ボゴールが世界に誇れるのが植物園( Kebun Raya Bogor )。オランダ支配時代の1817年に設立され、キャッサバ、キニーネ、コーヒーなどの熱帯商品作物の研究拠点でありました。
現在も東洋一の植物園として80ヘクタールの敷地に15000種の植物があります。

入園してすぐの所に巨大な板根を広げた大木。メンガリスという樹高60~80mにもなる樹木です。

入場料は31千ルピア=¥279。面積80haと言われてもピンときませんが、東京ドーム17ヶ分。歩きたくない場合は自転車や電動カートなどがレンタルできます。






世界一巨大な花ラフレシアは、イギリスの植物学者であり植民地行政官のトーマス・S・ラッフルズが報告したため彼の名が由来となっています。シンガポール開発で有名な人物ですが、ナポレオン戦争中はジャワ島はイギリスが制圧し、ラッフルズもボゴールに住んで植物園の開発を行いました。
園内にはラッフルズ夫人の記念碑もあります。
街歩きと現地食
植物園向かいに中華門があり、中国寺院などもありますがチャイナタウンと呼べるほどの規模ではありません。華人は人口の3%ほどしかいないので、いかにも中華街らしい所はスラバヤとジャカルタぐらいにしかないのかも。


それでも所々に華人の店があります。昼食はそのひとつでパンシット(ワンタン)入りの麺。


夕食は駅前の食堂街。食べていると猫がおねだりに来ます。イスラム圏のインドネシアでは「犬は不浄」とされ飼いませんが、猫をすごくかわいがります。猫も慣れていて人を恐れない子が多いです。
マレーシアも同様で猫の天国と化しています。


朝はまた違う市場に行ってみました。

なんだか軍人像あり。日本占領下のボゴールでは、日本軍によりインドネシア軍の訓練が行われました。日本敗戦後から始まる独立戦争では、この新生インドネシア軍が中核となって戦います。日本軍人3000人あんまりが帰国せず、独立戦争に参加しています。


下町を通って宿に向かうと川のほとりに風情のあるモスク。アラビックとインドネシア建築の融合みたいな感じ。



次は旅の最終目的地である首都ジャカルタです。
海外旅行記NO66 インドネシア(ジャワ島)⑤ジャカルタ編 鋭意製作中

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